五輪はプロ競技の祭典?

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アマチュア競技スポーツの祭典が、いつからプロ選手の大会になってしまったのだろう?1964年の東京五輪から、メキシコ、ミュンヘン、モントリオールでは、体操と陸上を中心にテレビで見たが、西側諸国がモスクワ大会をボイコットして以降はオリンピックに関心がなくなり、在米中に開催されたロスアンジェルス、アトランタ大会も興味がなかった。

再び五輪に興味を持ってテレビも見るようになったのはアテネ大会からだった。ニッポン体操男子が「美しい体操」を演じ、28年ぶりに金メダルを獲得した大会だった。北京、ロンドン大会も見て不思議に思ったのが、プロ野球やサッカー、テニスなどのプロ選手が出場していることだった。

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プロ選手の出場解禁

いまRONIN(1998公開映画)を見ながら書いている。カタリナ・ヴィット(Katarina Witt, 1965年12月3日 - 東ドイツ出身)が出演している。サラエボ(1984)、カルガリー(1988)の2大会連続金メダリストで、在米中にテレビのニュースで何度も目にしたフィギュアーの女王である。『社会主義最高の美貌』と評された容姿と艶めかしい演技で世界を魅了した。

23歳でアマチュア現役を引退し、プロに転向した。「氷上のカルメン」で1990年にエミー賞を受賞し、日本でも放映されたそうだ。その後、1994年のリレハンメルオリンピックに出場している。この大会で、プロの出場が解禁されたそうだ。

五輪の歴史をさかのぼると、最初にプロ選手が出場したのは、1988年ソウル大会の男女テニスである。当時の女子テニス界の女王、シュテフィ・グラフが金メダルに輝いている。1992年バルセロナでは、アメリカNBAの「ドリームチーム」が話題になり、当然の如く金メダルを獲得。その後も、自転車競技、野球などでプロ選手が活躍するようになった。

「参加することに意義がある」という理念はなくなり、国の威信をかけて「勝つこと」が大義になり、巨額の金が動く世界最大の競技大会になっている。平和の祭典という理念も忘れられ、商業主義に堕落してしまったといえるのかもしれない。

国の威信を賭けた五輪

「国の威信」ということでは、自由主義圏より、かつての社会主義圏(旧ソ連、東欧諸国など)の国々のほうがその意識が強かったといわれる。その行過ぎた結果が、ロシアの国を挙げて行われたドーピング違反の隠蔽事件である。ロシアのドーピング問題(視点・論点)

7月18日、世界反ドーピング機関(WADA)の調査チームは「マクラーレン報告書」を公表し、ロシアが国家主導でドーピング隠しを行っていたことを明らかにした。前代未聞の不祥事である。種目別では陸上、重量挙げの検体数が100以上に及び、全選手がリオ五輪から除外された。

東京五輪迷走

2015年夏のエンブレム騒動、新国立競技場の白紙撤回に加えて、小池都知事になってからも2020年大会に向けた準備が迷走している。メディアは報道ネタに事欠かないようだ。同時進行でメディアをにぎわしている豊洲移転問題も含めて共通しているのは、責任の所在が不明確であることと、予算策定・決定の杜撰さであろう。

小池知事が「都議会はブラックボックスだ」、「情報公開を推し進める」などといった意味が明らかになってきた。東京五輪準備の意思決定過程は不透明すぎる。国の文部科学省、五輪担当大臣、JSC、組織委員会、それにIOCや各競技委員会が絡み、東京都の責任と権限が不透明な状態にある。

そのことが予算策定と決定(負担)についても不透明になる原因である。予算規模とその乱高下は信じられない様相を呈している。民間企業では絶対にないようなことがまかり通っている。最終的に負担する東京都民が納得できるような情況にない。都民でなくても腹立たしくなるものだ。

杜撰な予算管理

『招致段階(13年1月)で7340億円とされた大会経費は、その後、2兆円とも3兆円とも言われたが、これまで明確な積算根拠は組織委員会や国や東京都など誰も示さなかった。』

2016年9月29日、都政改革本部の調査チーム座長の上山信一慶応大学教授は、「結果から申し上げると今のやり方のままでやっていると3兆円を超える、これが我々の結論です」と切り出し、大会経費の総額が「3兆円を超える可能性がある」とする報告書を小池都知事に提出した。

組織委員会の森会長は、「ソチ五輪では5兆円かかった」と言及し、予算増大を容認するような、言い訳ともとれる発言をしていた。論外の話であり、こういう考え方をする人がいる限り問題は解決しない。

過去の責任者らしき人の発言・・・
 森会長、「2兆円を超すかも知れない」
 枡添前知事、「このままでは3兆円になるだろう」

組織の長が、こんな無責任な発言をするとは信じられない。たとえば「上限を1.5兆円に決め、コスト削減に取り組みます。その権限と責任は私が負います。」といえないのだろうか?費用を負担する組織が責任と権限を持たないと、今後も予算管理は杜撰なままになるだろう。

予算増が3割~4割ではなく、3倍~4倍に膨らむことなど民間企業ではありえない。絶対額をみても数十億円の差ではなく、数兆円の差である。こんな杜撰なことが許されることがってはならない。企業であれば当初予算が数割も増加すれば、プロジェクトや事業の撤廃も視野に入れて議論し、対策を考え予算圧縮を図るものだ。

カヌー会場の選定

小池都知事は費用削減に向け、三施設の選定を見直すと表明した。そのひとつがカヌー会場の選定だ。連日その報道があり、二転三転しながら迷走している。出足で、またしても森会長が、「IOCの理事会で決まり総会でも決まっていることを日本側からひっくり返すということは極めて難しい」と述べた。見直しをけん制するような発言だ。IOCバッハ会長が来日し、「四者会談」を提案したが、同時に「だれがリーダーということではない」という。

都政改革本部の調査チームは、ボート、カヌー・スプリント会場「海の森水上競技場」は、当初計画の7倍の約491億円に膨れ上がった経費に加えて、「一部の競技者が会場で反対している」、「大会後の利用が不透明」だとして、宮城県長沼ボート場を代替地に提言した。「復興五輪」の理念にも合致するとしている。

第三者からみれば、「海の森水上競技場」よりも「宮城県長沼ボート場」のほうが理にかなっていると思う。費用が半分に抑えられ、五輪後も利用できる。「復興五輪」の理念に合っていることも大きい。

五輪後に利用されないような「海の森水上競技場」を巨額の費用をかけて建設する案がどうして優先されたのか?裏で利権が働いたのではないかとかんぐりたくなる。