初耳学で、果物の王様として西洋梨コミス(正式名称:Doyenné du Comice、ドゥワイエンヌ・デュ・コミス)の話があった。フランス原産で、栽培が極めて難しいため流通量が限られている。一般の店では販売されておらず、生産者から直接有名店に納入されている。
見城農園のコミス
群馬県渋川市の見城農園が、コミスを安定的に栽培するようになったのは2000年のことで、ミシュラン掲載の名店(京都の未在、和ごごろ泉、竹屋町三多、大阪のフジヤ1935、横浜のエリゼ光など)に納入している。ネットで予約・注文もできるが、すぐ売り切れになるそうだ。
コミスが果物の王様、幻の王様といわれるのは、昭和天皇の料理番だった秋山徳蔵氏がその著書の中で『かす1つ残さず溶けてしまう』、『四十年たった今でもまだあの味が舌に残っている』と絶賛したことが影響しているそうだ。
西洋梨の種類
西洋梨は一般のスーパーでも売っている。洋梨は古くは古代ギリシャでも栽培された記録が残っており、品種改良がなされ現在は4000種存在するそうだ。しかし実際に商業的に流通している品種は10種くらいだという。
日本には明治時代に導入されたが、栽培が難しく、東北地方や信越地方などの寒冷地域で栽培されている。市販されるようになったのは1980年頃からだそうだ。有名なのは山形産の「ラ・フランス」である。生産量の7割を占め、洋梨の代表格である。
1864年にフランスで発見された品種であるが、気候が合わなかったために今は栽培されていない。世界で山形県だけが栽培しているそうだ。
果物の王様
一般に果物の王様といえば、「ドリアン」が有名である。多くの日本人がそう思っており、これを否定する人は少ないだろう。栄養豊富(特にビタミンB1を多く含む)なため、国王が精力増強に食していたため、王様の果実と呼ばれていたという話もある。>
マレー半島が原産地であるが、香港やマカオに行くと路上市場で山積みにして売っている。1980年代頃はお土産にドリアンを買う人がいたが、いまは飛行機内への持ち込みは禁止されている。甘い香り(麝香に似ている)があるが、腐った玉葱や都市ガスが混ざったような強烈な臭いがするからだ。
はじめに書いたコミスも果物の王様と称しているが、ほかにも果物の王様あるいは女王、幻の果物といった呼び方をされる果物がある。格別に美味しいからというよりは、珍しいから、栽培が難しいから、流通量が限られているから、そう呼ばれるのかもしれない。
果物の女王
果物の女王というコトバはあまり聞かない。ネット検索すると、「マンゴスチン Mangosteen」のことを指していることが多い。もともと「王様の果物」が変じて「王様の果物」になったのと似たような話があった。
19世紀、大英帝国のビクトリア女王(1837~1901年)が、「我が領土(マレー半島)にマンゴスチンがあるのに、これを味わえないのは遺憾の極みである」と嘆いたという。当時は現在のような冷蔵技術がなく、日持ちが悪いマンゴスチンをイギリスまで輸送する手段がなかったからである。このことが「女王の果物」といわれ、これが変じて「果物の女王」と呼ばれるようになったのかもしれない。
日本では植物検疫法の関係で冷凍果の輸入だけが許可されていたが、2003年からは生果の輸入も解禁されたそうだ。東南アジアで栽培され、輸出国としてはタイが有名である。タイ語ではマンクットという。やわらかい果肉で、強い甘みとさわやかな酸味の上品な味わいがあることが、果物の女王と呼ばれる所以だともいう。
日本では栽培されていない。学名は、Garcinia mangostana で、フクギ属(Garcinia)の一種である。フクギは、沖縄で防風林・防潮林に使われる。マンゴスチンの台木に使われるので、沖縄で栽培される日が来るかもしれない。
和梨の種類
日本の梨は、長十郎(赤梨系)と二十世紀(青梨系)のふたつのタイプから始まった。長十郎は1893年(川崎市)、二十世紀(松戸市)は1898年に発見された。昭和中期頃までは、梨といえばこの二種で8割を占めていた。特に長十郎は6割を占める代表格だった。また二十世紀といえば鳥取県が一大産地だった。団塊世代の人間にとっては、梨といえば長十郎と二十世紀である。しかし、その生産量は少なくなった。スーパーで長十郎を見ることはほとんどない。
梨の品種別作付面積の統計(2014年)を調べると、幸水(1959年)、豊水(1972年)、新高(1927年)、二十世紀の順になっている。長十郎は12位で、全体の0.6%に満たない。店頭で見かけないのも道理である。二十世紀は4位にランクしているが割合は7.77%である。幸水と豊水が多く、それぞれ約40%、27%を占めている。
少年時代に食べた長十郎と二十世紀の梨の味を舌が覚えている。その味を超える梨を食べることはほとんどない。