がん罹患数予測

2016年のがん統計予測によれば、罹患数予測がはじめて100万人を超えた。2016年1月に開始された「全国がん登録」は、これまでの都道府県別の「地域がん登録」データを全国的に一元管理する新しい仕組み、制度である。この制度で集められたがんデータを統計処理した結果が7月15日に公表された。

がん情報サイト(http://ganjoho.jp/)によれば、「日本のがん統計は、罹患データは4~5年、死亡データは1~2年遅れて公表されています。諸外国では、これらの遅れを数学的な手法で補正して、現時点でのがん統計を予測する試み(短期予測)が実施されています。この短期予測を日本のデータで実施して、2016年のがん罹患数予測および死亡数予測の結果をご紹介します。」と説明している。

がん罹患数とは、「新しくがんと診断された人の数」である。過去の罹患数を数学的な手法で補正して、2016年に新しくがんと診断される件数を予測したのが「2016年のがん罹患数」である。今年1年間で100万人ががんと診断されるということだ。同じ手法で、がん死亡数は374,000人と予測されている。

  • 男女とも、がんの死亡数は増加し続けている。
  • 2013年のがん死亡数は、1985年の約2倍。
  • がん死亡数の増加の主な原因は人口の高齢化。

私もがんになるリスクが高いと思っている。それも喉頭がんと肺がんである。理由は喫煙だ。20代半ばくらいから喫煙を続けている。当時は職場の8割の男性が喫煙者だった。吸いたいとは思わなかったが、付き合いのような形で喫煙を始めて、それが習癖になった。一日一箱(20本)くらいだったので、平均的な喫煙者だった。それがいまは一日3箱(60本)の時が多くなった。旅をしているときは1箱くらいだが、自宅で作業をしているときは2~3箱は吸う。明らかに重度喫煙者(21本以上)を超えて、超重度喫煙者だ。

幼馴染の寺の坊さんと話していたら、彼は「個人差がある。彦太郎さんが喫煙をやめたのは100歳になったときで、それまで毎日2~3箱吸っていた。」と慰めのようなことを言った。彦太郎さんというのは昔村長だった人で、10年ほど前に105歳で亡くなった。たしかに喫煙によるがんのリスクは非喫煙者よりも高いが、非喫煙者よりも数倍も免疫力が高ければ同じくらい生き長らえるかもしれない。

私はほかの人より免疫力は高いのではないかと思っている。その根拠は病気らしい病気をしたことがないことだ。風邪をひいたことはあるが、寝込むことはなく、数日のどが痛く、鼻がぐずぐずするくらいだ。最後に引いたのはいつか覚えていないが、過去10年間はまったく引いていない。人ごみに出かけることが少なくなり風邪のウィルスにさらされることが少なくなったことも影響しているのだろう。

過去10年間、健康診断を受けていない。自慢できることではない。気にはなっているが、面倒くさいということだ。体に異常がなければ大丈夫だと思っている。だが、それは間違いで病魔は知らずに忍び寄ってくるということも知っている。

いま高齢者になって一番心配なのは、超重度喫煙と運動不足の悪影響である。がんになることよりも、脳溢血や心臓発作のほうが気になる。がんは告知を受けてもすぐに死ぬことはない。数ヶ月の余命があればその間に終活を完了すればよい。しかし、脳溢血や心臓発作は、それが起きたとき自分ひとりでは何もできず、終活も継続できなくなる。たとえ命を取り留めても後遺症が残り、歩けなくなったり話せなくなったり、最悪は寝たきりになってしまう。それがいやである。

古希をすぎれば十二分に生きたといえる。長生きすることに執着しなくてよい。闘病生活よりも尊厳死を選ぶほうだと思っている。だから重病になっても胃瘻などの延命処置は不要だ。己の生命力に頼むことはするが、人為的に延命する必要はない。遅かれ早かれ人は必ず死ぬものだ。人間50年、ましてや古来稀な古希まで生きれば幸せなことだ。

老醜の姿をさらしてまで生きる意味を見つけられるのだろうか?
話が逸れるが、芸能界の人が老いた姿を大衆の面前に晒すことを是とするか?是とするならその理由は?
私がいやだなあと思ったのは、認知症が進んだ南田洋子を取り上げた特番であり、闘病生活をする姿を映し出した淡路恵子の特番(本人の死後)だった。いずれも本人が望んだことではない。夫や息子の売名行為のような気がした。南田洋子、淡路恵子という往年のスターは、若くて元気な姿のまま人々の記憶に残るべきだと思う。できることならそうありたいと本人は思っているのではないか。

老いてもなお元気に活躍している人々もたくさんいる。女優や元アナウンサーでは、岸恵子、草笛光子、黒柳徹子、野際陽子などは80歳を超えているがいまなお元気で老醜の様はまったくない。見てくれだけではなく心と脳も美しく成長した証左である。男優の場合は、老醜を云々する必要はなく、老いたというより人間として成熟したと思わせる風格がある人が多い。それが時代が求める俳優の条件なのかもしれない。