東大寺 幻の七重塔

奈良時代に建立された東大寺に、高さ33丈(100m)の七重塔が建っていた。しかし、源平合戦のときの戦火で焼失した。その後立て替えられたが、それも落雷で焼失し、以降復旧されることはなく歴史から消えてしまった。

明治時代に50分の1の模型が作られたが、これを実際に100mの高さで作ると屋根の庇の重さで崩れ落ちてしまうことが分かった。本当に100mの七重塔が、当時の技術で立てることができたのか?

2016年7月25日、礎石・基壇が残る遺跡の発掘調査が始まった。心礎は直径4.5mあることが分かったが、基壇の柱礎の跡が見つからない。立て替えられたときに基壇部分の土が大きく掘削されてしまったからだと分かった。柱礎を特定できなければ塔の建築構造を推定できない。調査の初期段階で大きく躓いてしまった。

ところが8月の2回目の調査で大きな発見があった。基壇に付けられた南側階段の東端の痕跡(凝灰岩)が見つかり、さらに北側でも見つかった。これを手がかりに測定すると、柱は3m感覚で6本、合計36本あったことが分かった。五重塔の場合は4x4の16本で、この2倍以上の柱で七重塔を支えていた。

しかし、15m四方の柱で高さ100mの塔を建てると、ひょろ長くて不安定な構造になる。当時の技術で建築できたかどうかが疑問になってきた。別の古文書には23丈(70m)との記載がある。高さ70mであれば建築可能である。記載ミスなのだろうか?

11月の第2回検討会で、各階に裳階を付けて補強することで七重塔が建てられる可能性が出てきた。現在も調査検討が継続されている。

日本で最も高い木造の塔は、東寺の五重塔(1644年再建の5代目)である。高さ55mで、間近で見上げるとその高さを実感できる。東大寺七重塔は、その2倍近くの高さだ。まさに天を突くような驚くべき高さだったことだろう。

1970年大阪万博で、古河パビリオンは東大寺七重塔を再現した。会期終了後、東大寺より移設の要望もあったが、資金上の問題もあり最上部の相輪部のみ寄贈されるにとどまった。現在も大仏殿の拝観出口すぐ横に展示されている。相輪だけでこの大きさは驚異的で異彩を放っているが、 横にある比較対象の大仏殿が巨大過ぎるせいか、興味を示す人は少ない。

〔参考〕