南木曽

雨合羽に身を包み、南木曽駅周辺を歩いた。福沢桃介と川上貞奴がたびたび訪れたという別荘があった。

朝から雨模様で途中下車をする気が失せたが、南木曽駅で下車した。妻籠のことが思い出されたからだ。駅構内で、カメラを電車の中に忘れたとフランス人親子が助けを求めてきた。手配をして結果が分かるまでの1時間、駅周辺を歩いた。駅前の坂を下って行った。長い吊り橋があり、桃介橋と刻印があった。橋を渡ったところで出会った地元の人が、近くに福沢桃介記念館があると教えてくれた。

※以下は当日、飛耳長目に書いた日記である。

今夜は天神温泉に泊まった。あいにくの雨であまり歩くことができなかった。南木曽で途中下車して、また妻籠を歩こうかと思ったが、バスの便が悪く二時間半後の電車に間に合わない。どうするかと思っていたとき、フランスから来たという親子に声をかけられた。

フランス人親子(南木曽)

「英語が話せるか?」という。何か困っている様子だったので聞いてみると、電車の中にカメラを忘れたという。東京を発って長野で乗り換え、南木曽に降り立ったところだった。東京からの電車は金沢行き、長野からの電車(松本経由)は名古屋行きだ。遺失物が届けられているとすれば、金沢駅か名古屋駅だ。駅員に頼んで調べてもらったが届け出はまだないとのことだった。

親子はあきらめて妻籠行きのバスに乗った。私は南木曽周辺を散策した。雨だったので、桃介橋を渡り、福沢桃介(諭吉の娘婿)記念館を見て回っただけだ。1時間ほど歩いて駅に戻ったとき、観光案内の女性に声をかけられた。名古屋駅の遺失物係から連絡があったという。

フランス人親子の連絡先を聞いていなかった。妻籠に泊まると聞いていたので、片っ端から宿に電話して探す。5軒目で見つかった。事情を説明し、明後日の滞在先に送付してもらう手はずを付けた。

この対応で、予定していた松本行きの列車に乗れずさらに1時間待った。昼過ぎに予約した宿に頼んで駅まで迎えに来てもらった。女将さんが、ドイツ人の親子が宿泊されているという。

宿についてまずするのは温泉に入ることだ。時刻は8時前だった。湯から上がって居間を除くと、宿のご主人とドイツ人親子が語らっていた。私も話の仲間に入れてもらった。

ドイツ人親子(天神温泉)

親子は三人とも日本語を話した。父親はドイツ出身で、何十年間か日本の某大学でドイツ語を教えていたそうだ。いまはベルリンに住んでいる。娘さんはフランクフルト在住だ。父親は、歴史に興味があり、驚くほどよく知っておられる。

私は福沢桃介の別荘が南木曽にあるのを今日知ったばかりだが、彼は桃介が諭吉の娘婿で、木曽川流域の水力発電所を作った電力王だということまで知っていた。もちろん宿のご主人は、そのことに詳しい。日本最初の女優ともいわれる川上貞奴と桃介のなれそめについてまで教えていただいた。父親は、貞奴はヨーロッパでも有名人だったと話してくれた。

木曽路に大変興味があり、その案内をドイツ語と日本語で書きたいという。観光案内というだけでなく、旧中山道の宿場の成り立ち、この街道が果たした役割なども書こうとしているようである。それも江戸時代よりずっと遡って、奈良時代にできた街道と宿のシステム、その意義と役割を書きたいという。これには参った。

私も歴史や街道、宿場町に興味があり、途中下車の旅で好んで旧街道や宿を訪ねる。しかし、奈良時代までさかのぼってその成り立ちを知ろうという発想がなかった。大和の古代の道(山の辺の道、上ツ道、竹内街道など)の話(私のお国自慢かな)をしたら、大変興味をもって聞いてくれた。

関西本線(亀山~加茂の区間)、中央本線(中津川~塩尻の区間)では必ずといってよいほど外国人乗客を見かける。しかし、今日のように二組と話をすることは珍しい。

地図
大きい地図を開く 旅の地図

写真 動画 地図

2015

×