9時過ぎに速玉大社を後にして、新宮川沿いにぶらぶら歩いていくと、小高い山があった。登り口に新宮城址の案内板があった。丹鶴城址ともいう。江戸時代初期に築かれた城だ。徳川家臣の水野重臣の居城になり、新宮地域を治めた。
天守閣があった場所まで10分くらいで着く。運動場くらいの広さの公園になっていた。肩を寄せあって佇む男女がいた。ほかに人影はなく静かだった。青く輝く熊野灘、速玉大社の森が見える。
この地を訪れた与謝野寛が詠んだ詩碑があった。
「 高く立ち 秋の熊野の 海を見 誰そ涙すや 城の中ふべに」
快晴で暖かだった。WiMaxを接続できたのでスマホから日記を書いてアップした。のんびりしすぎて10時52分発の電車に乗り遅れた。次は13時14分、二時間待ちだった。
街中をそぞろ歩き。駅の近くに 徐福公園があった。小さな公園で真ん中に不老の池があった。不老長寿の薬を求めて中国からやって来た徐福が、この地で「天台烏薬」を発見したと伝わる。 池には「和・仁・勇・慈・財・調・荘」 と書いた七本の石柱がある。徐福に従って渡来した七人の重臣が有していた徳を表している。
この日は新宮から尾鷲に移動して、馬越峠越えの熊野古道を歩こうと思っていたが時間的に無理になった。駅前の観光案内所が開いていたので、尾鷲方面の見所を聞いた。熊野市に松本峠越えの熊野古道、花の窟、鬼ケ城などがあると聞き、熊野市に移動することにした。
「新宮名物の店はないか」と聞くと、駅前の徐福寿司を紹介してくれた。仕出し弁当つくりに忙しく、いまは店内では食べられないというので、持ち帰りの弁当を買った。新宮名物だという熊野牛のり巻き、昆布巻き、さんま姿寿司が入った寿司弁当にした。熊野古道の峠で食べようと思った。