正式名は蓮華王院で、その本堂が通称「三十三間堂」である。33間(約120m)の長大なお堂は、手前からはるか彼方へ一点透視的に延びる眺めは、胸がすくような壮快さを感じさせてくれる。
堂内には千手観音坐像(国宝)とこれを取り囲むように千体の等身観音立像が安置されている。観音像には会いたい人に似た像が必ずあると伝えられている。堂内の写真撮影は禁止になっていた。左の写真はウィキより転載した。
三十三間堂から京都駅に向かう途中、東本願寺と西本願寺に参拝した。徒歩20~30分くらいだった。実家は浄土真宗だとは知っているが、西か東かが分からなので、両方にお参りした。といってもただ写真を撮っただけである。
子供時代、年忌はよくあったが、両親・祖父母の指示に従っていればよく、宗教とか先祖の霊とかに関心はなかった。高校卒業後しばらくして実家を離れ、盆暮れにしか帰郷しなくなり、ますます縁遠くなった。いつのまにか毎日仏壇に手を合わせ、先祖の墓を守り、先祖に感謝するいう暮らしとは無縁の人生を送ってきた。
還暦を過ぎて、次第に故郷への思い、先祖への崇敬の念が芽生えてきた。昨年からたびたび帰郷するようになったこともその思いに拍車をかけている。東か西かを確かめるがすぐに忘れてしまう。宗教心がないだけでなく宗教儀礼が身近にないためであろう。宗派に東本願寺派、西本願寺派というのがないことを知った。浄土真宗の2大宗派は本願寺派(本山が西)と真宗大谷派(本山が東で通称「お東さん」)である。東西に分裂したのは400年前のことだが、昭和62年までは「本願寺」が正式名称だったそうだ。あれこれ読んでもよく分からない。
「林住期」という五木寛之の本がある。「人生前半の50年は世のため人のために働いた。50歳から75歳までの25年間、後半生こそ人間が人間らしく、みずからの生き甲斐を求めて生きる季節ではないか―。林住期こそ人生のピークである」と著者は書いている。古代インドの思想から今後の日本人の生き方を説く、世代を超えて反響を呼んだベストセラーである。
自分は「人間50年」を意識して生きてきた。50歳で早期退職して山小屋に移住し晴耕雨読の暮らしをすることが夢であった。しかし現実はそうも行かず結果的に定年まで勤めた。7掛け人生でみても40歳以上、とっくに不惑の歳を越えているがいまだ惑いの中にいる。
いま林住期の真っ只中にいるが、五木氏のいうように人間らしく生きているのだろうか?五木氏は林住期に入った年に龍谷大学の聴講生になり、仏教史を学んだ。林住期をどう生きるかを考えるためだったのだと思う。その答えが「大河の一滴」(執筆時65歳)、「林住期」(同75歳)なのかもしれない。
※古代インドでは人生を、「学生期」(がくしょうき)、「家住期」(かじゅうき)、「林住期」(りんじゅうき)、「遊行期」(ゆぎょうき)の4つに区切る。現在の日本では人生80年だから、林住期は50~75歳と考えられる。50歳までに蓄えてきた体力、気力、経験、キャリア、能力、センスなどを土台にして新たな人生を生きるのが林住期である。