奈良公園から京都まで足を伸ばした。急行で約40分だ。京都は紅葉目当ての観光客でごった返していた。静かに散策できる所はどこかと思いを巡らせ、学生時代の友人が下宿していた洛北の地を訪ねることにした。修学院離宮、曼殊院、詩仙堂がある一帯だ。
学生のとき、仲間たちと京都四条河原町で遊んだことがある。祇園でダンスパーティを開催した後だった。最終電車がなくなったので鴨川沿いの道を数時間かけて歩いた。途中の田園地帯は暗闇がひろがり、月明かりだけが頼りだった。夏休みが始まった頃だっただろうか、カエルの大合唱が聞こえるのどかなところだった。
京都駅からバスに乗った。いまはオフィスビルや住宅が密集している。道路が混雑してい時間以上もかかってしまった。まっすぐ急ぎ足で歩くのとさして変わらない。一乗寺清水町のバス停で降り、曼殊院への坂道を歩きだしたときは午後2時を過ぎていた。2時間余で日が暮れるが、曼殊院と詩仙堂はのんびりと回れる距離だ。
友人の下宿先はどのあたりだったのかと周りを見渡しても、一帯の風景は昔とはまったく違う。曼殊院への参道に差し掛かると赤や黄色の紅葉が目についてきた。曼殊院周辺の紅葉は終盤になっていたが、十分に楽しめた。天気は曇り。写真撮影には向いていなかったが、何枚も撮る。
曼殊院を後にしてさらに北に向かった。修学院離宮、赤山禅院があるが、行きあたりばったりで歩いた。右手の山が紅葉に染まっていた。関西セミナハウスがあった。手前の道を右に折れ山手に向かった。能楽堂、茶室の案内があったからだ。突きあたりは鬱蒼とした竹林だった。曼殊院の所有地で、通行止めになっていた。その左手に苔蒸した屋根の門があり「私有地のため立ち入り禁止」の看板があった。門から先に能楽堂、茶室がある。
門前から中をうかがうと、見事な紅葉だった。落ち葉を掃いていたおじさんに話しかけたら、中に入れてくれた。今年はここ数年で紅葉が一番きれいな年だという。大量の落ち葉が降り積もっていたが、まだ見ごろの木がたくさん残っていた。デジカメのバッテリ残量が少なくなっていたが十数枚撮ることができた。
曼殊院に車やタクシーできてそのまま帰る人が多かった。錦秋の美を愛でる余裕もないのだろう。おかげで曼殊院を離れると誰もいなくて、静かに散策できるのがうれしかった。途中で4人連れのおばさんたちに会った。これから赤山禅院に急いで行くのだという。紅葉の名所だから日暮れまでに行くんだという。バッテリが切れて写真も撮れないので行くかどうか迷ったが、とりあえずトイレ休憩で関西セミナハウスに寄った。
日本クリスチャンアカデミーという財団法人が管理運営する施設だった。能楽堂や茶室も施設の一部だということを知った。合宿研修やセミナの施設だ。Singularity Arising in Nonlinear Problemと題する会議をやっていた。外人の参加者もいた。懐かしくなって無駄口をたたき、コーヒーを飲んでくつろいだ。時刻は3時半になっていた。日暮れまで一時間しかなかった。
赤山禅院に向かうおばさんたちに教えてもらった鷺森神社に行くことにした。"紅葉のトンネル”があってすてきなところ。ぜひ行くといい…と勧めてくれた。坂道を下る。京都洛北の市街地を遠くに眺められた。「歴史的風土特別保存地区」の標識を過ぎると左手下方にこんもりとした森が見えた。それが鷺森神社だった。
神社の山側から境内に入った。林の奥に見事な紅葉が眺められた。携帯のデジカメで写真を何枚も撮った。一眼レフの電池がなくなったのが悔やまれた。しかし、後で見ると携帯デジカメでなかなか雰囲気のいい写真が撮れていた。三歳くらいのかわいい女の子の姿を視界にとらえて撮った写真がお気に入りだ。
山腹を南へトラバースして詩仙堂へ向かった。宮本武蔵が吉岡一門と戦った一乗下り松の角を左に曲がり山手に向かう。数分で詩仙堂入口についたが、もう日が暮れ始めていた。暮れなずんだ日の光では、携帯で撮った写真の画質は悪い。それでも庭園の風情はなんとかわかるだろう。
着物姿の女性がこれから曼殊院に行くという。聞けば、ライトアップした紅葉が見られるのだという。道角の掲示板に案内が張ってあった。この日が最終日で夜9時までやっている。一眼レフが電池切れで役立たずなので、ライトアップされた紅葉はあきらめた。かわりに、張ってあった案内の写真を携帯で撮った。