奈良公園を散策した。今年は平城京遷都1300年の節目である。私自身はあまり興味がなかった。平城宮跡に大極殿が再建中であることも知らなかった。友人に教えられて初めて平城宮を訪ねたのは今年2月のことだった。出身が奈良県だというと、奈良の都(奈良市)のことを知っているはずだと、友人たちに思われてしまう。
私は大和の出身~と言ったほうがいい。子供時代、盆暮れには大阪や和歌山、高知の親戚(叔父さんや大叔母の家族)が帰省した。みんな実家のことを「大和」と呼んでいた。明治・大正時代の人にとっては「大和国」出身という意識だったのだろう。奈良県ではなく堺県だったこともあるから、奈良県という名称に馴染みがなかったのかもしれない。
奈良時代というと710年~794年だと学校で学んだ。それから現在に至るまで、奈良時代とは平城京(奈良市と大和郡山市)が存在した時代だとおもっていたがそうではない。この時代の都は、平城京→恭仁京→難波京→平城京→長岡京と5回も遷都している。平安時代初期に平城京に再遷都する詔が出されたが、薬子の変(810年)で実現しなかった。都が山城国に映された後は「南都」と呼ばれ寺社勢力が大きな力をもって栄えたが、平家の南都焼討ちで衰退した。
生れ故郷は奈良ではない。やはり大和だという意識がある。大和盆地の南部、古代のヤマト政権があったと伝えられる場所から南側で大和国一ノ宮の大神神社、藤原京、飛鳥京一帯(現在の桜井市、橿原市、大和高田市およびその周辺の郡・町村を含む地域)が「大和」で、「奈良の都」とは歴史・文化が異なる。斑鳩の里や飛鳥の里へは自転車で行き来できるが、奈良は遠すぎる。首都圏で言えば品川と横浜の距離と同じくらいの隔たりがある。
そんなわけで「奈良の都」には馴染みがない。昨年から今年にかけて東大寺、興福寺、薬師寺、唐招提寺などを訪ねたが、いまだに土地勘がない。もっと勉強しようと思って奈良公園を訪ねた。猿沢の池の近くで地図を眺めながら佇んでいる女性がいた。どこへどう歩けばいいのかと悩んでいた。「Can I follow you?」と聞くので、旅の道連れになった。観光客を案内するほどの知識はないが、一緒に歩いて多少の通訳はできる。 名前はNinaで、ノルウェイ人だがオーストラリアに留学中でバイオサイエンスを専攻している学生だった。