日本が欧米列強に肩を並べようと近代化に邁進していた明治時代。日本の精神性の深さを世界に知らしめようと、英語で出版された名著があります。内村鑑三著「代表的日本人」。西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮という五人の歴史上の人物の生き方を通して書かれた日本人論です。「武士道」「茶の本」と並んで、三大日本人論の一冊に数えられています。
著者の内村鑑三(1861-1930)は、宗教家、思想家として聖書研究を行い、既存のキリスト教派によらない「無教会主義」を唱えた人物。当時の日本は、鎖国を解いてからわずか50年ほどで日清・日露戦争を勝ち抜き、世界から注目を集めていました。しかし、まだまだ偏見が根強く「盲目的な忠誠心」「極端な愛国心」が特徴の民族との一面的な捉え方がなされており、内村は、真の日本人の精神性を海外に伝える必要性を痛感していました。そこで、内村は、欧米人にもわかりやすいよう、聖書の言葉を引用したり、西洋の歴史上の人物を引き合いに出したりしながら、日本人の精神のありようを生き生きと描き出したのです。
しかし、この著書は単なる海外向けの日本人論であるにとどまりません。取り上げた日本人たちの生き方の中に「人間を超えた超越的なものへのまなざし」「人生のゆるぎない座標軸の源」を見出し、日本に、キリスト教文明に勝るとも劣らない深い精神性が存在することを証だてました。さらには、西洋文明の根底的な批判や、それを安易に取り入れて本来のよさを失いつつある近代日本への警告も各所に込められています。この本は、単なる人物伝ではなく、哲学、文明論のようなスケールの大きな洞察がなされた著作でもあるのです。
番組では、批評家の若松英輔さんを講師に招き、現代的な視点から「代表的日本人」を解説。現代に通じるメッセージを読み解き、価値感が混迷する中で座標軸を見失いがちな私達の現代人が、よりよく生きるための指針を学んでいきます。
第一回 無私は天に通じる
第2回 試練は人生からの問いである
代表的日本人」には、試練を好機ととらえることで、偉大な改革を成し遂げた日本人が描かれている。米沢藩主・上杉鷹山と農民聖者・二宮尊徳だ。上杉鷹山は、まず自らが変わることで、誰もが不可能と考えた米沢藩の財政を立て直した。「民の声は天の声」という姿勢を貫き、領民に尽くした鷹山の誠意が人々の心をゆり動かした結果である。一方、二宮尊徳は「自然はその法に従うものに豊かに報いる」との信念のもと、どんな荒んだ民の心にも誠意をもって向き合い、道徳的な力を引き出そうとした。その結果、途方もない公共事業を次々と成し遂げていった。第二回は、上杉鷹山と二宮尊徳の生き方を通して、試練を好機に変えていく「誠意」の大事さを学んでいく。
第3回 考えることと信ずること
「代表的日本人」には、「考えること」「信じること」というそれぞれの方法で、ゆるぎない信念を貫き通した人物たちも描かれている。儒学者・中江藤樹と、仏教者・日蓮だ。中江藤樹は「道は永遠から生ず」との信念を生涯つらぬき、たとえ藩主が訪ねてこようとも子供たちへの講義を中断することなく待たせた。また道に反することであれば最も尊敬する母親の意見も聞き入れなかった。一方、日蓮は、若き日、膨大な仏典を読む中で出会った「依法不依人(法に依って人に依らず)」を生涯の座標軸に据え、「法華経」に殉ずる生き方を貫いた。その信念はいかなる権力の脅しにも屈せず、死罪、流罪をも精神の力ではねのけた。第三回は、中江藤樹と日蓮の生き方から、真摯に考えぬき真摯に信じぬいたからこそ得られる「ゆるぎない座標軸」の大切さを学んでいく。
第4回 後世に何を遺すべきか
「人がどう生きたか」こそが人から人へと伝えられるものであり、それが魂のリレーとなっていく...「代表的日本人」に込められたもう一つのテーマは、内村の有名な講演「後世への最大遺物」と通じあっており、一緒に読み解いていくとその本質がわかっていくと、若松英輔さんはいう。内村にとって生きるとは、自己実現の道程というよりも「後世」に生まれる未知の他者が歩く道を準備することだった。逆に私たちは、何を受け継ごうかと考えて世界を見るとき、はじめて自身に準備されている「遺物」の豊かさに気づくことができる。第四回は「代表的日本人」と「後世への最大遺物」をつないで読み解くことで、内村が私たちに何を遺し伝えようとしたのかを深く考えていく。