額裏

極楽湯に行った帰りに知人の家に寄った。同居人の人(Aさん)が「額裏」の収集家だった。私には額裏の知識はなかった。戦後生まれの一般の男には日本の伝統的な着物文化が受け継がれなかったのではないか?私の仲間たちでお祭りやお正月などに着物を着る男はごく少なく、ましてや日常生活で着物を着ている男は皆無だった。

昨年夏に何十年ぶりかで日本の花火大会を見物した。20代の若者たちが多かったが、男女ともに着物(ゆかた)姿が目立っていた。古き良き人の文化が見直されているのかもしれない。うれしいことである。

Aさんが「額裏」の実物を見せてくれた。絵柄はライオン。すばらしい!の言葉しか出なかった。刺繍かと思ったがそうではない。緞子というのか綸子というのか、織物用語には疎い。「絹織物です」と教えていただいた。以下はAさんに教えていただいたことの受け売りである。

戦国武将の陣羽織に起源があるそうで、庶民の間にも広がったのは江戸時代である。脱いだときに羽織の裏に描かれたような花鳥、人物、風景などの文様がちらっと見えるのが「粋」とされた。羽織を着ているときは見えず隠している。遊郭や料亭、花柳界、季節の催し事などのときに芸妓に脱がせてもらったときに、芸妓が「あら~」などといって感嘆の声をあげるのを聞いて得意がる。普段は見えないところで趣味を競い合う旦那方の「粋」の精神である。「秘すれば花」の伝統を受け継いだ江戸文化のひとつである。

額裏といってもピンからキリまである。絵柄を裏地に使ったものは「羽裏」といって今も買うことができるが、昔ながらの額裏はほとんど流通していないそうだ。ネットで検索したが出てくるのは「羽裏」ばかりだった。着物を買うときに絵柄を選べる。だいたい数万円くらいだった。

「額裏」が流通しなくなったのは、それを作る技術を持った職人さんがいなくなったからだ。Aさんが知っているのは大津にいる人ぐらいだそうで、その人の作品は数十万円はするそうで、銀座三越に置いてもらっているという。

ネットで調べてみると、「額裏」を展示していた美術館に関心を寄せるブロッガがいた。10年以上前の2003年の記事が残っていた。そのブロッガは朝日新聞朝刊の家庭欄に載っていたのを読んだという。太子町のタウン誌「道 ゆく なら」にも2004年夏号の特集記事があったという。

この美術館の名前は「油喜美術館」。残念ながらいまは閉館されている。じつはその美術館の館長だった人がAさんである。Aさんによれば... 最初は、本伊勢街道の宿場町の名残を残す大宇陀に私費で美術館を開き、その後当麻寺の門前に移転したそうだ。若い頃に「額裏」に出会い、「見えないところのおしゃれにも気を使う男の心意気」に惚れて額裏の収集を始めたという。その数はなんと1万点にのぼる。

朝日新聞だけでなく、読売、毎日、奈良の各新聞社からも取材を受けた。その話を知ったNHKからも取材を受け、ハイビジョン特集「決定版 きもの大百科」で紹介された。私が見せてもらった額裏は、同番組のタイトルバックに使われたものである。同番組は昨年12月、今年1月にBSプレミアムで再放送された。

http://v.youku.com/v_show/id_XMzg2MTI0Mzc2.html http://www.pideo.net/video/youku/a1d4681faf5d868b/ http://www.kanshin.jp/kimono/index.php3?mode=keyword&id=253960 http://gakuura.cocolog-nifty.com/blog/
002 003 004 006 007
   Share
本郷の瀧桜 HOME

×