鎌倉古道の面影を求めて、根岸線・本郷台駅から鎌倉駅まで歩いた。GPS実測距離 11.5km 歩数計 37,236歩。
本郷台駅から大長寺がある丘陵の尾根道を歩き、散在が池森林公園(鎌倉湖)、天園ハイキングコース、瑞泉寺庭園を経て鎌倉八幡宮まで歩いた。ついでに鎌倉中の道の出発点にあたる巨福呂坂を往復した。JR本郷台駅 0806~JR鎌倉駅 17:19着
JR根岸線本郷台駅から南へ20分ほど歩くと鎌倉街道(21号線)に出る。車道を行けば鎌倉に出るのは分かっているが、車道は歩きたくない。ここから散在が池森林公園にかけて東南に横たわる丘陵地帯がある。おそらく尾根道があるはずだと推測して向かった。※本郷台から鎌倉へ走っていた早駆け道(中の道)は宅地開発でほとんど消滅し車道になっているので歩いても意味がない。
〔メモ〕現在の横浜市栄区は1986年に戸塚区から分区して設置された。戸塚区の前(昭和11年まで)は鎌倉郡本郷村だった。おそらく昭和30年代までは全域が丘陵地帯だったが、昭和40年代の大規模な住宅地開発の結果、豊かな自然は壊されてしまった。裸にされた本郷村(栄区)の西南部、現在の鎌倉市(明治22年に設置された小坂村)と接する境界線に自然保安林が残されているだけになった。この丘陵の名前は不明だが便宜上、本郷丘陵と呼ぶことにする。残された本郷丘陵の尾根筋ぎりぎりまで削られて造成された住宅地が現在の公田町である。鎌倉市側の西南は岩瀬であるが、ここには大長寺、西念寺があるため開発を逃れ自然保安林として残っている。南側の鎌倉市今泉地区にも白山神社や今泉不動があるため開発を逃れたが、その東部分はゴルフ場になりバス道路も作られた。今泉の南側に散在が池森林公園があるがその周辺は今泉台として大規模な開発がされた。本郷丘陵を市境に沿って歩くとそのことがよく分かった。
本郷丘陵の尾根道を歩く
08:30 地図を見ると県道21号線(鎌倉街道)が丘陵の西側を走っており23号線との交差点が南へ500mくらいのところに大長寺がある。交差点手前から丘を越えて大長寺に抜ける道を探した。
08:38 丘の上の住宅地を抜けGPS地図から推測して歩く。路地を抜けるとそれらしき山道があったが民家の横で行き止まりになった。土地の人に訊くと「昔は大長寺に行く山道があったがいまは入口が封鎖され通れなくなった」という。「入口にある民家のじいさんが封鎖した」のだそうだ。私有地を横切ることになるからだ。巨福路古道と似た事情だ。
08:51 保安林の尾根道があると聞いて向かう。丘の最上部に人が住む気配のない大きな家があった。右手の草道に入ると市街地が眼下に広がって見えた。さらに進むと幸運にも保安林の尾根道になった。林野庁の人が見回りに歩くような道だった。途中で大長寺が見えそこに下ると思われる山道があった。目的は鎌倉古道を歩くことだったので大長寺に行くのはあきらめ尾根道を進む。近隣の人たちが週末にハイキングを楽しめそうな道である。
09:06 尾根道が終わると急なくだりになる。数箇所にロープが張ってあり慎重に下る。雨でぬかるんだ坂道は滑りやすく危険で、ロープのないところで数回滑ってしまった。
09:22 数分後、丁字路になり右手に登ると左手に畑があった。右手に巻き道が見えたが左手に見える頂上に向かった。周囲を囲んだ鉄柵のはずれを抜けた畑にもまた柵があったがさらに上に登ると広場になっていた。50段くらいの階段があり下方に住宅街が広がっていた。南に辿る山道の入口が見つからない。

今泉地区への道
09:45 階段上から巻き道があったので行くと100数十mで途切れた。しばしヤブ漕ぎをしたが叢木に阻まれ進めなくなった。下方の急斜面を降りるが断崖になって進めなくなる。
09:55 あきらめて広場にもどり他の道を探し、やっと見つけた。夏になり笹藪に覆われると分からなくなるだろう。保安林の尾根道をさらに南へ歩く。
10:06 10分ほど歩くと山道は途切れ、住宅地にでた。公田小学校の南に広がる住宅街だった。住民らしき人に出会い、名月院あるいは建長寺に通じる山道の入口がないか聞いた。幸い二人目の人がむかし歩いたということで教えてくれた。山道を越えると鎌倉市の今泉小学校に通じる道路に出る。そこから今泉台の住宅地の山側を抜けると名月院に抜ける道があるということだった。
山道を歩いて数分くらいのところに「散在が池」へ案内板があった。畑を左に見てさらに数分歩くと二又道になった。
10:20 右に下ると今泉小学校を経て名月院へ抜ける道の入口に至ると思われるが、時間はたっぷりあるのでさらに山道を登り、散在が池に向かった。10:25 「念佛供養塔 嘉永三?年 」があった。
10:50 山道が尽きたところの階段を下ると車道に出た。今泉台住宅街を周回するバス道だった。車道は歩きたくないので散在が池に通じる歩道を探したが見つからず気がつけば反対方向に歩いていた。原因は無線状態が悪くスマホ地図で現在地を特定できず今泉小学校へ向かったからだ。
11:14 歩数計12,013 今泉不動でやっと現在地がわかって引き返した。山手に向かうと墓地があり、事務所で聞くと先は行き止まりだという。墓地内を横切ってバス道にでて右に行けば散在が池入口があると教えてくれた。
散在が池森林公園を散策
11:31 散在が池(サンザガイケ)森林公園。鎌倉湖とも呼ばれる池の周囲が風致公園になっている。JR大船駅から江ノ電バスで20分。今泉不動下車、北口まで徒歩3分。北口入口入ってすぐ、右側に「せせらぎの小径」に下る遊歩道があった。鎌倉湖から流れ出る小川に沿った湿地帯に木道があり、その西側は切り立った崖になっていた。むかしの石切り場の跡かもしれない。せせらぎの小径は250mほどで木道が終わって坂道を上ると鎌倉湖畔にでる。管理事務所・トイレがある。
11:52 事務所の人に訊くと、南口から緑道をまっすぐ行くと天園ハイキングコースが入口があるという。瑞泉寺まで歩くことを決めた。まだ12時前なので急ぐことはない。湖畔に近いのんびり小径をゆっくり歩く。湖が眼下に見える。大きな魚が跳ねる音がした。湖面に波が立つ。小鳥の声が聞こえる。人影はなく静かな湖岸の巻き道を歩くと癒される。
12:15 湖面が見えなくなって数分歩くと右手にすこし入ったところに休憩所があった。視界が広がり森林を一望できた。本郷台駅から4時間経っていた。疲れは感じないが一度も腰掛けて休んだことがないのに気がつき、ここでしばし休憩した。今日は本郷台駅でうどんを食べただけだった。お弁当を持ってこなかったことを悔やんだ。
12:31 南口出口手前で馬の背の小径と合流。高台を一周するパノラマの小径があった。階段を登ると鉄塔を巻くように道が続いていた。思ったほど視界は広くなかった。
12:40 南口に出る。管理事務所の人が教えてくれた緑道はすぐ見つかった。まっすぐ進むと住宅街を走るバス道にでる。そこがバス停「半僧坊下」で、大船駅から循環している。さらに直進すると数分で公園らしき広場に突き当たる。その奥に天園ハイキングコースへの入口があった。
天園ハイキングコース
12:52 数分で建長寺、覚園寺、天園・瑞泉寺への分岐点に着く。天園 1.5km、瑞泉寺 3.2kmと標識に書いてあった。地図を見ると尾根道で高低差があまりないので瑞泉寺まで1時間くらいだろう。ところどころに苔むした大きな岩がある古道らしき道である。歩くのが楽しくなる山道である。ここまで人に会うことは滅多になかったが、天園ハイキングコースは人気があるからだろう、何人ものハイキング客に会う。一様にリュックを背負ったハイキング姿である。中には京急金沢駅~釜利谷森林公園から歩いてきたという3人連れがいた。訊けば約3時間の行程だそうだ。
13:20 天園に至る最後の登りになる。途中で降りてくる園児たちを連れたグループに出会う。3歳児くらいの幼児もいるが怖さ知らずに元気に降りてくる。
13:25 頂上に着く。そこが天園だった。鎌倉市最高地点の大平山(159.2m)である。園児グループの後続者たちが十数名いたが、数分もするとみんないなくなった。数十メートル下ると西側にはゴルフ場が広がっていた。鉄網で囲んであるが出入り口があってここまで車で来れるようだ。東側遠くには鎌倉市街が見える。
天園峠の茶屋~瑞泉寺
13:43 天園から10分足らずで茶屋に着く。鎌倉市街を一望できる休憩所だ。朝から何も食べていないが空腹感はない。アイスクリームを食べながら茶屋のおかみさんと10数分ほど立ち話。ここが釜利谷方面と瑞泉寺方面の分岐点。瑞泉寺まで20~30分だという。
13:55 天峠の茶屋を後にする。苔むした岩の切り通し、小岩が点在する斜面、途中に貝吹地蔵、大亀石といった場所があり、写真を撮りながらのんびり歩く。山ガール姿の外人さんに追い抜かれる一方、立ち止まってなにやら話しながら写真を撮っている二人連れのオバサンを追い抜く。反対方向から来るハイカーは金髪の山ガール、山ボーイのカップル一組だけだった。
瑞泉寺
14:31 天園ハイキングコースが終わり瑞泉寺入口に着く。瑞泉寺は20代のときに車で来て訪ねたことがある。境内を歩きながら若かりし頃を思い出す。ここは当時親しかった友人との思い出の場所である。当時は気がつかなかったものが二つあった。ひとつは夢想国師の庭園だ。むかしは断崖に横穴があるくらいにしか思っていなかった。もうひとつは吉田松陰留跡碑があることだ。大河ドラマの影響で最近になって造られたのかもしれない。
15:10 受付の人としばし話す。梅園の盛りは10日ほど前で例年より遅かったそうである。梅園を過ぎて左に行くと墓地があり、お彼岸に入っているので墓参客が多くなっている。鎌倉駅までの遊歩道はなく車道が続く。ここを下っていけば大塔沢のバス停があると教えてくれた。ぶらりぶらりと下っていくと左手に分かれる道があった。通りがかった地元の人に訊くと護良親王の墓があるというので寄ることにした。
護良親王墓所
15:22 墓所入口に着くと急な長い階段が一直線に伸びていた。今日はここまで26000歩歩いているので足に疲れを感じていた。長い階段を見て登るのに怖気をなしたが勇気を出して登る。踊場が二つあって合計で約170段登ったところに墓所があった。振り返ると尾根道があった。階段を下りるのは危険なので尾根道を歩いて下り道を誘うと思ったら100mくらいで通行止めになっていた。仕方がない。足元だけを見て慎重に階段を下りた。足先を引っ掛けたら階段を転げ落ち大怪我をするのは必至である。
荏柄天神社
15:52 遠回りをして方向を見失ってしまったが、ままよと歩いていると右手の道に荏柄天神社の鳥居があった。もう4時前であったが急ぐ必要もないので好奇心を優先させて寄ることにした。ただ、また階段が見えたのでちょっとためらった。さきほどの階段に比べればたいしたことはない。登り口に「菅公千年祭記念碑」が建っていた。祭神は菅原道真だった。学問の神様だ。道理で親子連れや高校生らしき二人連れの参拝客がいるわけだ。
16:07 荏柄天神社を後にして、大蔵御所跡、頼朝墓所、畠山重忠邸址などを見て流鏑馬道に出た。「いざ!鎌倉」と駆けつけた坂東武者が終結した場所だそうだ。ここが旧鎌倉街道の起点となった。上の道、中の道、下の道の終点だ。化粧坂(上の道)、朝比奈切り通し(下の道)は歩いたことがある。中の道が通る巨福呂坂は知らなかったので確認するために行った。
巨福呂坂(中の道)
16:37 流鏑馬道を西に歩くとバス通りに出る。右折(北鎌倉方面)しておよそ100m先の左側に巨福呂坂の入口があった。車の御祓い所の向かいである。先日ネットで調べたスポットの写真を撮った。
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