旧鎌倉街道(推定経路)に沿って古道らしきところを探しながら、下永谷から本郷台まで歩いた。下永谷市民の森から日限山~舞岡公園~本郷台を経て北鎌倉に至る「中道」は、住宅団地開発でほとんどが消滅していた。市民の森と日限山にわずかに面影が残っているだけだ。
舞岡公園の南端を掠めるように走っていたと推測されるので、尾根を目指して上っていったが日蓮正宗のお寺の敷地に入り行き止まりになった。引き返して南へ向かうと小菅ヶ谷北公園があった。
舞岡公園と小菅ヶ谷の間が切り通しの道で、舗装された車道を下り住宅街を抜ければ30分ほどで本郷台に着く。むかし車で何度も走った道である。車道を歩く気ははないので少し東に進路を変え、800mほど歩いてからまた南へ向かって歩いた。
日野南公園があった。地元の人に聞くとここまで港南区で西側は栄区だという。港南区と栄区の境界が尾根筋になっていたようだが、住宅開発で自然道は消滅していた。住宅地を抜け根岸線を超えると、開発を逃れた尾根筋があった。緩やかに上っていくと視界が広がり見晴らしの良い場所に着いた。鍛冶ヶ谷公園の案内があった。
その南端に鍛冶ヶ谷市民の森北入り口があった。思いがけず山道を歩くことができて嬉しくなった。しばらく尾根沿いに歩くと「宮ノ前横穴古墳群」の案内板があった。
※2010年に横浜市ふるさと歴史財団 埋蔵文化財センターが調査した。そのときは竹薮の奥に潜むようにあった。台風に襲われて崖崩れが起き、強風で倒れた樹木もあったので、整備したそうだ。
横穴古墳群の丘を下り、さらに南へ歩くと本郷ふじやま公園があった。丘の頂上に富士塚が建っていた。今日は霞んでで見えなかったが、富士山を遠望できるそうだ。土地の人に聞くと、江戸時代の頃から富士講が盛んだったそうである。夕暮れが迫ってきたので、本郷台駅に向かうことにした。公園の西側斜面を下った。竹林の中をうねるように続く道を歩くのは楽しかった。
※一昨日、近くにある鎌倉早駆け道を散歩したあと、旧鎌倉街道がどこを通っていたのかが気になって調べた。飛耳長目にメモを書いた。今後も機会を見つめて古道を探訪したい。