岐阜公園~瞑想の小路を経て金華山・岐阜城に登る(70分)下りは百曲登山道(25分)総歩数23021歩
名古屋地区に滞在中、待ち時間があったので岐阜城址に登った。予備知識がなかったが現地でいろんな人に教えてもらって勉強した。魔王が棲んだ城だが、居館は中腹にあった。近年の発掘調査で居館跡や迎賓館と庭園の跡などが分かってきたという。いまも発掘調査が続けられていた。
金華山の標高は329m。岐阜公園から仰ぎ見る高さにある。真夏の日差しが強く汗が止まらない。あの高さまで歩いて登るのはつらいなあ・・・とためらう。かといってロープウェイで登る気は起きない。岐阜公園内を散策しながら考える。
岐阜公園前バス停のすぐ近くに岐阜公園の入口がある。入ると広い噴水広場があり、右手に名和昆虫博物館があった。レンガ壁の建物が時代を感じさせる。大きな網を持った子供がいた。夏休みの宿題で昆虫採集しているのだという。
金華山に向かって左手に進むと急な石段の横に銅像が建っていた。板垣退助受難の碑だった。「板垣死すとも自由は死なぬ」といって凶弾に倒れた史実は学校で習った。しかし、それがこの岐阜だったとははじめて知った。
左手に池があり水鳥が戯れていた。その東側を通り過ぎようとして大きな門があるのに気がつく。信長居館跡への入口だった。岐阜城天守に住んでいたと勘違いしていた。その門を登っていくと発掘調査の跡があり、居館跡だと目されている広場はいまだ調査中だった。突き当たりに瀧が流れ落ちており、小さな谷を渡ったところから先は立ち入り禁止になっていた。信長が賓客をもてなすために造った庭園だと考えられており、発掘現場になっていた。
居館跡を下って右手に進むとロープウェイの乗り場だった。往復1200円くらいだった。切符売り場の人に登山道を訊く。ファミリー向き、中級向き、健脚向きの三つのコースがある。中級向きは「瞑想の小路コース」と命名されている。名前が気に入ったのと、樹木の中なので日差しを遮れるというのでこのコースを登ることに決めた。
ロープウェイ乗り場から北へ数分のところに登り口があった。好きな樹木に囲まれた道だ。数分くらいのところで道が2つに分かれていた。ひとつが健脚向きで「百曲りコース」というもっとも急なのぼりだ。もうひとつが瞑想の小路である。標準時間で登り1時間だ。名前の通り、瞑想に耽りたいような樹木の中の道である。小さな沢もありチロチロと流れ落ちる水筋もある。
のんびりと散策を楽しめる。しかし、少しずつ高度を稼ぎながら30分ほど過ぎて眼下に長良川が見えるようになったころから、岩場のある急坂になった。汗が噴出してくる。水筒を忘れたことに気付く。のどが渇く。日差しを防ぐ樹木もなくなった。熱射病にならないようにと祈る思いだった。汗を拭き息を整え、写真も撮りながら高度を上げていった。
最後の岩場を登りきると右手に神社と天守が見えたが、水場を探すのが先決だった。何人か登山客がいた。「あそこに水道がありますよ」と教えてくれる。ありがたかった。頭から水をかぶり、ぬらした手ぬぐいで手足を拭く。女性客がいなければ上半身裸になって水を浴びたい気分だった。自動販売機もあった。りんごジュースを一気に飲み干すと、やっと人心地がついた。ロープウェイ山麓駅から70分経っていた。
気がつくと、涼しい風が吹いていた。空気が澄んで美味しい。これが山のすばらしさのひとつだ。数組の人たちが休んでいた。目の前に天守がそびえる。そこにいた人たちと歓談しているとあっという間に1時間くらい経ってしまった。上りきったところにあった祠に行く。御嶽神社と書いてあった。断崖の上に建っているので眺めがいい。
携帯を見るとメッセージがあった。もうすぐ孫が生まれるという知らせだった。駆けつけても2時間はかかる。今日中に面会できるだろうが、急いで降りることにした。ロープウェイ頂上駅まで下って売店の人に訊く。ファミリー向けの「七曲コース」と健脚向けの「百曲コース」に分かれていた。七曲は緩やかで楽だが50分かかる。百曲りは急だが30分だ。
膝の痛みはほとんどなくなっていたので百曲りを降りることにした。思ったほど急ではなかった。難所もなかったので軽快に降りることができ、25分くらいであっけなく下った。もちろん上りはかなりきついことだろう。登ってくる人二人とすれ違った。一人は70歳になるという地元の人だった。かつては毎日登っていたが、数年前からは週三回くらいになったというがそれでも凄いことだ。若さを保つ秘訣だろう。老いは足腰の弱さからはじまる。