
小田急線の秦野駅から鶴巻温泉駅まで歩いた。駅の近くを流れる川沿いに東へ歩く。およそ20分後、国道を横切って数百メートルの辺りから進路を北にとる。みかん畑のあぜ道を横切って長源寺の墓地に出る。道なき道を歩いたため方向を見失う。墓参りに来ていた人に聞くと、斜面をまっすぐ登れば、弘法山への道があると教わる。斜面を横切る舗装道路に出る。この道をたどれば頂上に通じるが、舗装道路を歩きたくないのでさらに直登すると、頂上に至る落ち葉に埋まった山道をあがる。獣道のようだが、視界が開けた風情のある道だった。こういう山道を歩くのが好きだ。
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秦野駅から徒歩1時間ほどで弘法山直下の公園に着く。小さな駐車場があった。ここに車を停めて弘法山に登るハイカーがいた。権現山の展望台が至近距離に見える。西を望むと大山が見える。眺めが良いので、ここで休憩し弁当をひろげて早めの昼食にした。山肌を駆け抜ける風が冷たかったが、のんびりと過ごす。
ダウンとマフラーを身につけて出発。権現山頂上への道は急だったが10分余りで着いた。そこはちょっとした広場になっており、弁当を食べているハイカーたちがいた。多くの人が登山姿なのが意外だった。コッヘル持参でお湯を沸かして昼食を楽しんでいるパーティが何組かいた。弘法山から大山に向かうのだろうか?
富士山の姿は見えなかったが、東南東に湘南海岸を遠望できた。眼下に東名高速道路と小田急線、秦野市街地、東海大学キャンパスが見える。広場の周囲には桜の木が数十本あり、数週間もすれば桜の花に埋め尽くされるのだろう。弘法山公園は桜のスポットとして有名なのだそうだ。

緑豊かな林の多い道を進み、吾妻山を経由して鶴巻温泉へと下る道を歩く。鶴巻温泉駅まで4.9km、約1時間半のみちのりだ。途中東海大学駅へ下る道の案内が数ヶ所あった。色鮮やかなヤッケと帽子、黒タイツに短パンをはいた女性が小走りで追い抜いていった。似たような姿の女性と何度もすれ違う。いわゆる"山ガール"なのだろうか。
権現山から弘法山を経て吾妻山まで約1時間だ。広い尾根をのんびりと散歩する気分で楽しい。クヌギの木が多く、いたるところにどんぐりが転がっていた。吾妻山が最後のピークなので、ここで休憩する人が多いようだ。時刻は2時半。30分ほど休んで下る。鶴巻温泉まで1kmだ。竹林があり里山が近いことを思わせる。三歳くらいの男の子が親を従えるように元気に上ってきた。
吾妻山ハイキングコースを抜けると民家が数件あった。民家の軒先に数羽の鶏が遊んでいた。鶴巻温泉駅から来たときの入り口は分かりにくい。東名高速のガード下を抜けて数分、左手に元湯陣屋がある。直進すると大和屋、そして立ち寄り湯の「弘法の里湯」がある。温泉に浸かってハイキングの疲れを癒す楽しみがある。露天風呂、サウナ、そば処、お土産店もあるスーパー銭湯だ。利用料金は2時間800円、一日1000円である。
元湯陣屋の名前に興味を抱いたので覗いてみた。横道から入ると広い駐車場があり敷地の入り口近くにはロールスロイスが置いてあった。貴賓を迎える車なのだろう。広々とした庭園の向こうに池が見え、小路が真っ直ぐに伸び、その向こうは高台になっている。執事のような格好の人が出てきて門の横に立って誰かを待つ風情だ。なんとなく勝手に門の中に足を踏み入れるのがはばかられるような雰囲気があったが、かまわずに入ってみた。
数十メートルのところに、赤い日傘がある畳の休憩台があった。その横の竹筒からちょろちょろと水が流れ落ちていた。案内板を読むと、飲料にできる温泉だというので飲んでみた。カルシウム・ナトリウムを含んだ弱アルカリ性の温泉でおいしかった。鉄分や炭酸が含まれないようで、なんともいえないミネラルの味がした。おいしいので空っぽになっていたお茶のペットボトルを一杯にした。
左手に池と橋をあしらった日本庭園があり、右手には結婚式場があった。周囲に人影がなく案内を請うこともできなかったので真っ直ぐ歩く。竹林の横の石段を上っていくと宿泊所らしき建物があった。玄関を開けて声を掛けるがだれも出てこなかった。
そこはちょっとしたロビーになっていた。一般のホテルとは違った、和風のロビーとでもいえばいいのか、風情があった。誰もいないのであきらめ、右手の庭園を歩いた。小川が流れ、小さな池があり、錦鯉が泳いでいた。竹林の間を降りる小道があった。左手に和風建築があり庭の梅が満開だった。
時刻は3時半を過ぎていた。人の気配がなく静寂に包まれていた。結婚式場の建物の中にはいると、ウェディングドレスが展示してあった。衣装の相談など式を挙げる人を応対するところなのだろう。声を掛けると若い女性が出てきた。元湯陣屋の由来や歴史にはあまり知識がないようだった。あとで勉強するためにパンフレットだけをもらった。
門のところに先ほどの"執事"がまだ立っていた。かれこれ20分は経っていた。声をかけて聞いた。陣屋というから、江戸時代からの街道筋の本陣や脇陣の歴史があるのかと思ったらそうではなかった。古くは鎌倉時代に、頼朝に仕えた四天王の一人である和田義盛の別邸があったところで、陣地の屋敷ということで陣屋と呼んだそうだ。
近年になって三井財閥が平塚の奥座敷に位置する、温泉の湧くこの地にお客をもてなすために建てたのが、元湯陣屋の始まりだという。「陣屋」という屋号を登録したのは戦後のことだと"執事"は話してくれた。元湯陣屋に興味を抱いたのは、昔海外のお客を近隣にある某社研究所に案内したときに、夕食の接待で来たことがあるからだった。夜のことだったのでどの建物だったか覚えはない。車で乗りつけ敷地内の小路を歩いたくらいしか記憶がなかった。
後でパンフレットを読んで知ったのだが、「松風の間」はむかし黒田藩が明治天皇をお泊めするために大磯に立てたものを移築したもので、いまは数々の将棋・囲碁の名勝負が行われる部屋になっている。これほど由緒あるところとは知らなかった。ロールスロイスがあり"執事"が立っていてもおかしくないと感心してしまった。
明治天皇が泊まったという貴賓室にも三年前から泊まれるようになった。一泊二食(会席料理)付きで57,240円だ。一度泊まって高貴な身分の気分になるのもいいかもしれない。他の部屋は3~4万円で、海外の客の接待には都内の高級ホテルよりも喜ばれる。立ち寄り湯で露天風呂にも2000円で入れる。仲間内で昼食会を催すのもいいだろう。