※徒歩7時間43分 歩行距離9.3km(推定2H17M) 標高367m-505m(高低差138m)
※地図 http://goo.gl/CFPX8K 近鉄大阪線榛原駅下車。バス大宇陀行き(16分)大宇陀高校前で降車
奈良県宇陀市(2006年、宇陀郡大宇陀町・菟田野町・榛原町・室生村が合併して誕生)にある「本郷の瀧桜」を見に行った。別名、又兵衛桜。高さ13m、幹回り3mの巨木で、樹齢300年と言われる。
大宇陀は二回目である。最初は榛原駅の観光案内所で聞いた「かぎろひの丘」に興味を持って出かけた。そのときは又兵衛桜の存在を知らなかった。大宇陀高校前で降り西に向かって歩いた。右手の山間に見える桜を目指す。天益寺裏に咲く桜だった。寺の本堂は放火で消失したとの案内があった。
阿紀神社を経て南西に10分ほど歩くと遠くに又兵衛桜が見えた。それは見事なエドヒガンの枝垂れ桜だった。山間にでんと構える孤高の存在だ。岐阜県の薄墨桜を見たとき以来の感動を覚えた。日ごろどこでも目にするソメイヨシノとは比較できない威風堂々とした姿である。黄色の菜の花、濃いピンクの桃の花との取り合わせがまた美しい光景を織り成している。
出店で草もちを買い求める。86歳になるというおばあさんが写真パネルを見せてくれた。私の家のヒガンザクラで絵描きさんが来て描いた絵の写しだという。「300mほど登ったところなのでぜひ見に行ってください」というので行くことにした。
※おばあさんは後藤家の跡取り娘で、又兵衛桜はおばあさんが幼少の頃に父と兄がいまの場所に植樹したのだという。とすれば樹齢80年くらいなのか?真偽は確かめなかった。
後藤家を探しながら坂道を十数分歩いたところの三叉路に覆いかぶさるように見事な枝垂桜が咲き誇っていた。右の坂道を上ると後藤家の庭先に出る。声をかけて庭の桜も見せてもらう。暫くすると大阪から来たというご夫婦に出会う。毎年この桜を鑑賞しに来るのだという。今年は枝振りが細く花もまばらになっているという。私にはその違いは分からない。
三叉路に戻り、左手の緩やかな坂道を巻くように歩き、寺の裏山に通じるらしき尾根道を北西に登っていくと神社があった。
神社の裏山を高度504m辺りまで登るが道が途絶えたので引き返す。神社から西に少し下ると村道にでた。高度460m辺りでT字路になった。東に下っていく。途中、左手の巻き道があったので緩やかに巻いていくと民家に出て、道はそこで途絶えた。山菜取りをしているおばあさんに出会った。
私は鼻水をたらしていた。花粉症になったのかもしれない。鼻をかんでいるとおばあさんが「花粉症ですか?最近は村の若い子たちもマスクをするようになった。昔は楢の木だったのが切り倒され材木用に杉の木が植林されたからです」と話してくれた。車道に戻って少し下ると左手に高台があったので登る。小さな公園になっていた。観光客らしい二人連れが坐って谷間を眺めていた。その視線の先に又兵衛桜が見えた。
時刻は15時20分、太陽が西に移動し青空が広がっていた。光線の違いでお昼時とは違った又兵衛桜の姿を眺められた。スマホとコンデジで撮った写真もきれいに写った。方角や仰角、構図によりいろんな姿が見える。何十枚も撮影する。後の整理が大変だ。※じつはこの日記は書きかけで放置し、二年後に写真を整理しながら書き加えている。
又兵衛桜を堪能したあと、かぎりひの丘(万葉公園)に行く。年配の男性と孫らしい幼児二人が遊んでいた。断って写真を撮る。この丘もあと1週間もすれば桜が満開になる。万葉の歌人が詩情を書きたてられたのが分かるような場所である。
丘を降り、阿騎野の人麻呂公園を横切り、「心の森」に向かう。総合福祉公園いなっており、その一角に「あきののゆ」という日帰りの温泉施設がある。歩きつかれた足を癒し、汗を流してさっぱりする。1時間半後、バス停に向かう。徒歩10分くらいだった。夕食をしようと思ったが適当な店はなかったので19時初のバスで帰宅の途についた。