百済寺はいくつかある。近江国の湖東三山のひとつは「ひゃくさいじ」と読む。史料では寛治3年(1089年)に初出する。推古時代に渡来系氏族の氏寺として創建されたと伝わるが、戦国時代の兵火や信長の焼討ちで伽藍や仏像はすべて焼失した。
「くだらじ」と読む寺は、大阪府枚方市および奈良県広陵町にあった。いずれも創建時の伽藍は残っていない。枚方市では1965-1967に史跡公園として整備され、礎石や塔跡が復元された。
広陵町にある百済寺は三重塔と小さな本堂が残っているだけである。高野山真言宗の寺院だが住職はおらず、隣接する春日若宮神社が管理している。伝承によれば、この寺は聖徳太子建立の熊凝精舎を引き継いだ百済大寺の故地であるという〔『日本歴史地名大系 奈良県の地名』p.165〕再度の移転・改称の後、平城京に移転して南都七大寺の1つ大安寺となった。
三重塔は鎌倉時代中期の建立で重要文化財に指定されている。本堂は大織冠(だいしょくかん、だいしきかん、地元ではたいしょっかん)と呼ばれ、談山神社(藤原鎌足を祀る)から移築したと伝わる。大織冠とは冠位の最上位で、史上藤原鎌足だけが授かった。
