稲作と野菜のほかに、スイカ、イチゴ、マクワウリ、柿、桃、梨などの果物を作っていたが、いまは稲作のみである。唯一残っている畑がトイツボである。 1mほど盛り土になっている。近隣から弥生~古墳~飛鳥の時代の遺物が過去に発見されているので、掘ればなにかが出てくるかもしれない。
この畑は荒れ放題になっていたが、亡父が孫たちにと思って植栽した蜜柑と無花果が実をつけていた。初夏には桃が食べごろになるが、だれも収穫せず朽ち果てていく。
実家の横の空き地に柿ノ木があり、たくさんの柿がなっているが、食べごろになるとツグミがたくさんやってきて啄ばむ。私も食べることがある。
ネット通販で「奈良産 "延命富有柿" 秀品 大玉4L 15玉 約5kg」は4500円、一個300円だ。町の店やスーパーでも一個100円はする。
とても買う気にならない。なんの手入れもしない裏の柿の味と満足感は同じだからだ。
村の農家(兼業)もいまは果物類は作らない。儲けにならないからだ。ただ、隣のおばさんはイチゴを販売用に作っている。 春の季節になるとおすそ分けをくれたりする。箱一杯(数千円分)のイチゴをもらったら何かしらのお返しをするのが礼儀だ。 この大粒の甘いイチゴを食べたら、パック当り400円以上もするイチゴを買う気にならなくなる。 イチゴのハウスに行けば「好きなだけとって食べていいよ」といわれる。
作物は変わっても田園風景は変わらない。村のたたずまいもほぼ同じである。9割近くの家は昔ながらの木造の田舎作りである。
しかし、都市化の小波も着ている。集落の南西の角に"文化住宅"が6棟建っていた。数年前のことだそうだ。
そこだけを見ると都会の一部のようにみえるが、田畑に囲まれた集落全体から見ると違和感を感じる光景である。
住人は村の人ではないそうだ。
100年間変わらなかった田舎の風景は、100年後も同じなのだろうか?