社伝では、崇神天皇9年、広瀬の河合の里長・廣瀬臣藤時に託宣があり、水足池と呼ばれる沼地が一夜で陸地に変化しタチバナが数多く生えたことが天皇に伝わり、その地に大御膳神として社殿を建てて祀ったのに始まるとしている。龍田の風神・広瀬の水神として並び称された。