劔岳 点の記

実話をもとにした新田次郎の同名小説の映画化。明治期に前人未到の山とされていた剱岳に命と誇りをかけて挑んだ男たちを雄大な大自然のなかに描きだす。主演は浅野忠信。

私が始めて登った山が剣岳と立山連峰だった。大学3年の夏、恩師の教授ほか研究室メンバー8名が立山に旅した。教授と助教授は一泊して帰られたが、登山経験のある助手のFさんがリーダーとなって学生5人を引率する形で剣岳に登った。器械体操で鍛えた体に自信があり、若さゆえの気力で難なく登った記憶がある。帰路は剣御前から立山連峰を縦走して雷鳥沢キャンプ場の戻った。午前3時起床、午後15時帰着の長い一日だった。

これが私の山旅の原点である。その後剣には三度登った。週に2度徹夜する仕事の関係で、友人との日程が合わないため、ほとんどの登山は単独行だった。20代後半になってからは、友人に頼まれ案内する形の山行きが多くなった。剣岳も穂高岳も、友人たちと登った。

友人と二人で剣に行ったときは、剣沢雪渓を下り、仙人小屋で泊まった後、阿曽原~欅平まで歩いた。この山行きの前は多忙で数ヶ月ほど徹夜続きの生活でまったく運動していなかった。20代後半になり運動をしないと筋肉の衰えは加速する。とくに足腰が弱る。その悪影響がでたのが、剣沢雪渓下降中だった。あとは降るだけという気安さから雪渓をはしゃぎながら駆け下りたとき、膝を痛めてしまった。捻挫ではなく、急斜面で膝に過度の負担がかかったからだろう。痛みは次第に増したが、耐え難いほどではなかった。おそらく運動不足で筋肉が衰えていたため、膝周りをしっかり支えられなかったのだと思う。

苦い体験もあるが、仙人小屋に泊まった翌朝に眺めた裏剣岳の威容に感激したすばらしい体験もした。大自然に畏敬の念を抱いた最初の瞬間だった。晩秋の紅葉に映える仙人池に写る裏剣岳は最高だった。そのときの写真は引き伸ばして会社の図書室の壁に掲げてもらった。現像写真は手元にないが、ネガが残っていた。2000年頃はじめて買ったスキャナーに、ネガをスキャンする機能があった。これを使って復元した。精度・品質は悪いが、この写真を見るとさまざまな山行きの思い出が蘇ってくる。

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