【記憶の風景-戦後70年】パラオ共和国 激戦の証し眠る群青の海

日本から南へ約3千キロ、赤道近くに浮かぶ大小500以上の島からなるパラオ共和国。水深約10メートルの海底では旧日本軍の零式水上偵察機が静かに眠っていた。第一次世界大戦中から31年間、日本が統治し、先の戦争では日米の激戦地になった南国。日本人の犠牲者は1万6千人とされるが、今はマリンリゾート地として人気を集め、一部の島は世界遺産に登録されている。
島内には戦車や砲台、洞窟陣地などが残り70年前の悲劇を物語る。現在でも関係者による遺骨収集活動が続く。
観光ガイドの大塚一馬さん(29)によると「戦跡を巡る日本人は少なくない。祖父が勤めていた国民学校跡に行きたいという男性もいた」という。
街中の建物や食べ物などには、日本統治時代の面影を残す物が多く、流暢(りゆうちよう)な日本語を話す老人もいる。マルタンサン・ジラムさん(83)は、懐かしそうに「桃太郎」の歌を日本語で披露してくれた。幼少時に日本語教育を受けた世代。島の人たちは総じて日本に好意的だ。
ジラムさんは、パラオの中でも激しい地上戦が展開されたペリリュー島で生まれ育った。戦闘の直前、日本軍の指示で別の島へ疎開したが「何で家を出なければいけないのか分からなかった」という。故郷に戻ったのは戦争が終わって2年後。「一面焼け野原の“白い島”になっていた。残っていたら、みんな死んでいた。疎開はありがたかった」と振り返る。
「どうして戦争はなくならないのでしょう」。顔を曇らせるジラムさんは「今でも時々、日本兵の慰霊碑に手を合わせています」という。(写真報道局 松本健吾)
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