【記憶の風景-戦後70年】「ワレ イマヨリ ジバクスル」…特攻の無線響いた地下要塞 横浜・日吉、連合艦隊司令部

「ワレ イマヨリ ジバクスル」。太平洋戦争末期、旧日本海軍は爆弾を積んだ戦闘機で敵艦船に体当たりする神風特別攻撃隊(特攻隊)を編成した。生きて帰れない任務。連合艦隊司令部の電信兵だった大島久直さん(85)=茨城県下妻市=は、若い命がついえる瞬間の信号音を何度も受けた。
特攻は信号を送信状態のままにして行う。電文受信後に流れる「ツー」という長音が最後になった。「信号音の消えたときが敵艦に突入したか撃墜されたとき…。10秒ほどが本当に長く感じた」。大島さんの記憶は鮮明だ。
大島さんが昭和20年2月に配属された連合艦隊司令部は、本来、艦隊の旗艦に置かれていたが、この時は地下にあった。慶応大学日吉キャンパス(横浜市港北区)に掘られた日吉台地下壕(ごう)。19年3月、海軍は慶応から敷地や建物を借り移転を開始、本土決戦に備え巨大な地下施設を造り、中枢機能の多くを移転させた。
レイテ沖海戦をはじめ硫黄島や沖縄の戦いなど、戦争末期の作戦はここで指揮が執られた。20年の4月7日には、戦艦大和が米軍機の攻撃で沈没する様子も刻々と入電、電信兵は涙ながらに信号を受け続けたという。
鉄製の扉を開けるとコンクリートに覆われた通路が伸び、懐中電灯を頼りに進む。総延長約5キロの地下壕内部は迷路のよう。司令長官室や作戦室、大島さんが所属した電信室も残る。定期的に見学会が実施されており、参加者は年間2千人以上にのぼる。「日吉台地下壕保存の会」会長で慶応高校教諭の大西章さん(63)は「“かわいそう”だけではいけない。遺産を残すことで戦争を考えるスタートにしたい」と、保存の意義を訴える。
大島さんも昨年秋、約70年ぶりに地下壕を訪れた。電信室に入ると、言葉に言い表せない記憶が蘇(よみがえ)った。(写真報道局 奈須稔)
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