世界遺産100


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ウォータートン・グレイシャー国際平和公園

1932年、アメリカとカナダの国境を越えてつくられた世界初の国際平和公園。アメリカ側には東京都の2倍の広さをもつグレーシャー国立公園がある。氷河によって作られた雄大な自然を堪能できる。崖の下を歩く全長21キロのトレッキングコースが人気。

氷河によって削られた山々がのこぎりの歯のように連なる。200万年の歳月をかけて形作られ、およそ600の氷河湖がある。鮮やかな青色に輝くグリンネル湖を奥に進むとさらに神秘的な湖、アッパーグリンネル湖がある。湖面にはたくさんの氷河のかけらが浮かんでいる。

ロッキー山脈を北上すると、カナダのウォータートン国立公園に入る。その中心、ウォータートン湖の周囲には緑豊かな自然が広がり、さまざまな野生動物がすんでいる。野生動物の楽園、ウォータートン・グレイシャー国際平和公園は国境を越えて自然を保護するために国際協調のシンボルとなっている。


ガラホナイ国立公園 ~絶海の孤島に残された森~

スペイン領カナリア諸島のひとつ、ラ・ゴメラ島。標高1000メートル以上の山域。貿易風で絶えず発生する霧と温暖な気候がこの島の森を育んだ。たくさんの小川が流れ地下水として豊富な水が蓄えられている。湿度が高く湿気を好む植物が数多く生育している。その半分以上が固有種である。500万年から170万年前の姿をとどめ、独自の生態系を維持している貴重な森である。。ガラホナイ国立公園 Wiki  地図


聖なる海の恵み ~ニューカレドニアのラグーン~

2008年7月自然遺産に認定。島々を囲む珊瑚礁の海。面積1万6000平方キロ(東京都の7倍)。さまざまな年代の珊瑚が類まれな美しさを見せている。種類は500種以上。グレートバリアーをしのぐ。珊瑚がもたらす栄養は1700種にも及ぶ魚を育んでいる。この豊かな生態系が世界遺産に登録された大きな理由である。
ニューカレドニア観光局


116 中世の大学都市

サラマンカ旧市街

1218年創立(レオン王国)。スペイン最古の大学。美徳と学問と芸術の母をモットーとする。「知識を欲するものはサラマンカへ行け」といわしめた。1988年サラマンカ旧市街と共に世界遺産に登録。


031 熊野古道

神仏が宿る聖域を巡り歩く熊野詣。最後に出会うのはご神体の那智の滝。


115 氷河が刻んだ大地

テ・ワヒポウナムーマオリ語で「グリーンストーン(翡翠)の産地」を意味する。 フィヨルドランド国立公園(12,519 km2)、アオラキ/マウント・クック国立公園(707 km2)、 ウエストランド国立公園(1,175 km2)、マウント・アスパイアリング国立公園(3,555 km2)から成る。 Hot Place


117 海の民の記憶

3000年前、地中海を駆け抜けた海の民。かれらは現代の生活に欠かせないものを残した。
イビサ島は、謎多き海の民、フェニキア人が3000年前に切り開いた島。スペイン本土から東へ80km、豊かな海に囲まれた島。
レバノンに住んでいたフェニキア人は貿易で生計をたてるため紀元前10世紀、地中海に進出。西へ西へと移動し紀元前9世紀頃、木と水が豊富だったイビサ島を定住の地として選んだ。 島南部にサカレタ遺跡がある。海に出たフェニキア人がどのように生計を立てていたのかを知ることができる。
スペイン本土から金属の原石を運び、ここで加工した金属を地中海の国々に輸出し巨万の富を得ていた。交易をすすめるため金貨や銅貨を鋳造した。描かれているのはフェニキア人が信仰した音楽と踊りの神、ベス。この貨幣は広く地中海で流通し、いつしかベスの島、イビサと呼ばれるようになった。
フェニキア人最大の発明といわれるものもこの島で見つかった。アルファベットが刻まれた石である。だれでも簡単に書ける文字を発明することで取引を格段に円滑にした。 フェニキア人が交易を広げる中で広く世界に浸透していったアルファベット。文字と共に広まった言葉がある。地中海の西に沈む夕日を Ereb、東から昇る朝日を Asuと呼んだ。これはヨーロッパとアジアの語源となった。


118 カナリア諸島の火山島

テイデ山3718m 本土を含めてスペインで最も高い山 年間350万人の観光客が訪れる。火山が作り出した岩を砕いて16色の砂をつくり、これを混ぜ合わせて微妙な色合いを持った砂絵が作られる。麓の町では毎年、最後の晩餐に由来する「聖体の秘跡」の日を祝う。テイデ山の石から採った砂で描かれた絵がキリストに捧げられる。町の広場に800㎡という巨大な砂絵が浮かび上がる。使われる砂は2トン!受け継がれる伝統の儀式。テイデ山は島民の誇りである。


140 アンデス謎の文明

ボリビア 標高3800mにあるティワナク遺跡 紀元前2世紀から1000年以上続いた古代文明


182 鉄が国家を造った

スウェーデン・エンゲルスベリの製鉄所。18世紀、スウェーデンの鉄の生産量は世界の1/3に達した。


194 商人の聖地

プハラ歴史地区。ソ連時代に商人は弾圧され館は破壊された。1991年ウズベキスタン独立。伝統を取り戻すため誇りに満ちた取り組みが続いている。


195 青い帝都

ウズベキスタンの古都サマルカンドの文化交差路。独立後スターリン像が壊され、民族の英雄ティムール(1370-1405)像が建立。ティムール一族が眠るグーリ・アミール廟は古都で最も美しいドーム。1941年ソ連の科学者がティムールの棺を開け、頭蓋骨から顔を復元した。棺の裏には「この墓を開いた者は恐ろしきものにに打ち倒されるであろう」と書いてあった。棺が開けられた三日後、ドイツ軍がソ連に侵攻した。恐ろしきものがやってきた。ソ連の科学者はすぐに棺の蓋を鉛で固め、それ以後二度と開けられていない。20世紀はじめ、ティムールの后を祀ったといわれるビビハヌム・モスクは荒れ果てていた。20年余りの歳月をかけてモスクは復元された。青い建物が立ち並ぶ街は砂漠の中の泉であり、ウズベキスタンの人々の心のオアシスである。


199 市民たちの水運都市

17世紀の環状運河地区。アムステルダムは水運都市として世界一の繁栄を謳歌した。オランダは世界で最初に市民社会が成立した場所だと言われている。レンブラントの「夜警」に描かれているのは全員市民である。その顔には自分たちが作り上げた都市は自分たちで守るという気概が溢れている。この絵には17世紀のアムステルダムの活気とその精神が凝縮している。


242 支配の拠点

13世紀、ウェールズ公国を征服したエドワード一世(1239-1307)は各地に城を築いた。そのひとつがコンウィ城。城内にはイングランド人だけを住まわせ、この地方を支配する拠点にした。1287年に完成した中世城郭建築の傑作である。


243 遺跡に築かれた街

クロアチア南西部、アドリア海に面する町、スプリト。ローマ時代にディオクレティアヌス皇帝(在位284-305)の宮殿が築かれたのが始まり。当時使用人など1万人が住んでいたという宮殿跡がいまに伝わっている。5世紀、ローマ帝国滅亡とともにしろは廃墟と化す。再び活気を取り戻したのは7世紀。他民族の襲撃から逃れて宮殿跡に入り、遺跡を大改造して街を作り上げた。


244 侯爵家がつくった風景

400年間侯爵の地位を引き継いできたリヒテンシュタイン家が築いた城や庭園が、チェコ南東部のレドニツェとヴァルティツェにある。日本の皇居のおよそ200倍の広さの土地に多くの建物を建て、その周囲に池や森を造成した。


245 水の庭園の恵み

18世紀、ナポリ王国のカルロ7世がナポリから20km離れた土地にカゼルタ宮殿を築いた。幅120m、壁や階段はすべて大理石。建設費は総額400億円。総面積120haの広大な庭が山の向こうまで続いている。18世紀に作られた庭ではヨーロッパ最大である。人口の滝が全部で300以上もある。40kmはなれた山の地下水が源流で、水を引くのに12年の歳月を要した。途中で谷を越えるために水道橋が築かれた。高さ55m、長さ530mだ。


246 皇帝の愛した宮殿

フォンテンブロー宮殿と庭園。17000haの広大な森の中にある。12世紀、ルイ6世が築き、600年にわたって29人の国王たちが狩をするための別荘として好んで訪れた。18世紀末、ナポレオンが改築し皇帝の地位を追われる1814年まで住む。フォンテンブローは幾星霜の館である。「これほどくつろぎを覚え、幸せを感じられる場所はほかにない」ナポレオンの言葉。


247 ボヘビアのおばあちゃん

チェコ南西部の南ボヘミア地方の村ホラショヴィツェ。住民は140人。18~19世紀のボヘミアの農村の姿が残っている。大きな壁と小さな窓が特徴の色とりどりの建物が並んでいる。


248 山奥の小国を支えた鉄

2000m級の山々に囲まれた谷にある小さな国が、アンドラ公国。ピレネーで最も開発が進んだ近代都市である。淡路島よりやや小さい土地に7万5千人が暮らす。市街から10km離れた渓谷に、かつて製鉄所があった。ピレネーの雪解け水が流れるマドリウ渓谷には17世紀の製鉄所跡が点在する。18世紀製鉄衰退後にとった道はタックスヘブンと観光立国。国民には住民税がない。


249 トスカーナ田園交響曲

オルチャ渓谷。およそ600平方キロの丘陵地帯。牧草、ぶどう、小麦、オリーブ、果物を作る。


250 一族が暮らす巨大住宅

福建の土楼群。ドーナツ型の巨大な住居。ひとつの土楼に50世帯が暮らす。大小3万以上あるといわれる。13世紀、客家が作り始めた。土楼は客家の固い絆の象徴でもある。


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