APT4からCAM−Iへ
昭和44年 9月 1日午前10時....手が青くなるのを気にしながら、書記さんに教わった
ばかりの青焼きコピーをせっせとやっている一人の若者。濃すぎて真っ青になったり、薄
くて文字が読めなかったりで、濃さの調整に手を焼く。 午後 2時....上司から渡された
数センチの厚さのラインプリンター用紙とにらめっこしながら、何やらコーディング用
紙に一生懸命書いている。HITACコンピュータのFORTRANプログラムを、FACOM 270-30用
に
書き直しているようでやる。どうやら商談の試計算をやる仕事を上司から指示されたよ
うだ。大学でちょっとFORTRANを習ったことがあり、新人社員教育でも実習をしただろう
ということで、この若者の最初の仕事になったようである。
これが、富士通に入社し、新人社員教育、三ヶ月のSE新人教育、そして一ヵ月余の長
野工場での実習を終えて配属されたその日の若者の姿である。その二ヵ月後のある日、
若者は教壇に立って、冷汗を掻きながらNC言語はどうとかと言って、明らかに彼より
数年年長の生徒に説明している。SE中堅社員教育のクラスのようである。聞けば、一
週間程前に上司が、「俺、来週講師の予定なんだけど別件でやれなくなった。君、代わ
りにやってくれないか?」と頼んだそうな。「え〜何を教えるんですか?」「NC言語
だ。君、旭工学のF230-30用に開発中のFAPTを担当しているだろう。それを勉強して適当
に教えればいいよ」「そんなもんでいいんですか?」「大丈夫だよ」「そうですか?じ
ゃやってもいいですけど?」なんていって安請負したらしい。その週は脇目も振らず一
生懸命勉強の毎日。といっても、講義の日まで10日もない.....
考えてみれば、新人教育の途中で配属先の課長が面接に来て、「君にはAPTを担当し
てもらおうと思っている....」と言われて、「アプト?....あの横川から軽井沢を走っ
ている電車のことですか?」なんて頓珍漢なことをいった頼り無い新入社員が、いきな
り年長の先輩たち相手に講義をさせられるんだから、必死にならざるを得ないではあり
ませんか?
そして一ヵ月後、師走になって分けのわからないままに、それまでの仕事とはまったく
違うTBSの選挙予測システムの本番運用の手伝い。そうかと思うとCOONSのC2級の自由曲
面理論とか何とかいうものの研究らしきものと、それを実現するためのアルゴリズムとプ
ログラム作りの手伝いをしたり、TDCというソフト会社へのソフト開発作業の発注と
プロジェクト管理めいたことをやったりと、いろんなことを経験させられ、責任をもた
せられながら、頼り無い新人がだんだんと仕事を覚え、次第に自信も持つようになって
いった。
昭和45年5月、情報処理システムラボラトリ開所式当日、多くの来場者の注目を浴びた
のが、150センチ四方の大きなフラットベッド型プロッタに描き出される船のスクリ
ュウや変速軸歯車の絵であった。どうしてこんなに精緻な絵が高速で描かれるのか?隣
にある墓石のような磁気テープがクルクルと回り、プロッタのペンが縦横に目まぐるし
く動く様は、みんなの好奇心を刺激するに十分であった。そんな見学者の姿を見て、入
社一年を経た若者は誇らしげであった。その開所式でのデモは、同僚と二人で分担して
NC言語のAPTプログラミングとその結果をプロッタに図形表示するプログラムを開
発した成果であった。
.....すみません。APT4については非常に思いが多く、私の会社生活、仕事の原点になっ
て
いるため、思い出していると回顧録みたいになり、序論ばかり私的に書いてしまい、まと
ま
りません。ここで言いたいのは、当時のシステム開発部では、仕事と責任を思い切って部下
に任せる風土があり、それが部下を奮い立たせ育てていく原動力の一つとなっていたこ
とを言い、今の富士通に欠けていることを指摘したかった。ALRP/CAM-I/EXAPT協会などを
通じた海外との交流、MCAUTOのMERMAIDフィージビリティスタディのエピソード、ソフトウェア・エンジニアリング/SD
EM/SDSS開発、ARRAY PROCESSOR性能評価とS-MIX開発、名大プラ研やNASDA向けの問題向
き言
語研究開発とその成果がトヨタAXEL共同開発、そしてICAD開発へと繋がっていったことを書
き、一つのビジネスを花開かせるためには長年の研究開発の継続と人材の育成が必須である
ことをいいたい。その源流がシステム開発部にあり、いまこそそうした組織が必要であるこ
とG 訴えたいと思っています。40年代の汎用アプリケーシン開発の記録がどんな体裁・内容で企
画されているのかよく分からないのと、ちょっと眠くなってきたのとで、筆が進まなくな
りました。取り合えず、このままメールします。
汎用アプリケーション開発年表
<汎用アプリケーション開発&先行研究> <イベント> <外部団体活動>
昭和
44年
*川崎重工(岐阜) *TBS選挙予測(44/12)
45年 B727翼曲面加工 *COONS自由曲面 *米国IITRI-ALRP
<世界120社加盟>
*旭光学-レンズ研磨- *SL開所式(45/5) <JADE 15社加盟>
*F60 APT4開発 FAPT2開発
*F25 BOS FAPT2
46年 *F60/75試計算
*MCAUTO-MERMAIDシステム導入評価 ・原子力研究所
・F60/75+Uシリーズ 造船用CAD/CAMオンラインシステム ・気象庁
・MCAUTOメンバー5人来日、6週間の短期決戦 ・航技研
*BOS/OS2 FAPT3開発
47年 *F75 APT4開発 *米国CAM-I
-APT-ARLEM
*VESSEL開発 -SS(自由曲面)
・三保造船所との共同開発 -CAPP(工程管理)
・船殻データベース(ALPS)と図形/NC処理(GCAS) -ROBOTICS
・バルナ造船所(ブルガリア)商談
48年 ・来島ドック・今治造船・三菱長崎造船など *西独EXAPT協会
-旋盤用EXAPT2
*F55 SAPT開発 -MC用EXAPT3
*EXAPT2/3開発 <IBM-FS計画> *北大TIPS研究会
49年 *M準備室 *通産プロジェクト
*Mシリーズ発表(49/11) -無人化工場
-ソフトエンジニアリング
*米国AMDAHLマシン試計算
-日揮 M#1号機商談
50年 *PDP11 UNIX評価 -DP3台、MT15巻-->税関検査 *ICES研究会
*C/PASCAL化移植研究 *Speakeasy
*問題向きエンドユーザ言語研究(POL) *Wordprocessor
-名大プラ研・豪州CSIRO: 核融合向言語 (Siebold調査)
-宇宙開発事業団: 研究者用問題向言語(有償受託) *ISDOS評価
*F75 Array Processor計画
*科学技術計算用S-MIX開発
-M後継機/スーパーコンピュータ開発
昭和40年代後半の先進技術研究への投資が、知的財産の資産化と人材育成を加速した。
それが50年代に入って、トヨタ東富士AXEL、富士電機ICADなどの開発とその後の商品化、事業
化を推進する原動力となった。