鎌倉古道探索⑥ 大船駅~立場駅

大船駅~立場駅 GPS14.5km 歩数計30438歩

県道402号が「かまくらみち」と呼ばれているが旧鎌倉街道なのかどうかは分からない。402号は主要道のバス道なので、これを避けて東側を走る尾根道を探しながら歩いた。ほとんどが住宅街だった。意外だったのは大船駅西側から北へ丘陵が広がっていたことだった。東西2キロ、南北3キロくらいで住宅街や車道で分断されているが、農村や山里風景が残っている。もうひとつ豊かな自然が残されているところがあった。田谷の洞窟から北北西に徒歩45分のところにあった「まさかりが淵市民の森」である。横浜市が指定している「源流の森保存地区」でもある。滝の音と野鳥のさえずりが聞こえる癒しの森だった。

長尾砦跡

大船駅西口に出るとすぐ近くに緑の丘が見える。大船観音を見上げて右手に歩く。途中で左折して住宅街に入った。西側に崖が続く。しばらく歩くと丘に向かう坂道があった。田谷の洞窟に寄り道していくつもりだったが、丘があると登りたくなる性分が勝った。登っていくと「長尾砦跡」の案内板があった。大船駅から徒歩30分ほどの地点だ。丘の頂上には畑が広がり、菜の花、つつじ、やま藤などが咲いて、のどかな風景を形作っていた。

「長尾砦は、北条小田原氏が築いた玉縄城の出城だといわれるが、長尾の名は鎌倉以前に遡る。昭和55年、農地整備に伴い横浜市埋蔵文化財調査委員会が発掘調査を行い、縄文時代から中世にかけての遺物が発見された。」~平成4年栄区役所の標識より~

この標識の向かい、畑と林の間に細い道があった。少し下るとそこに「長屋台御霊神社」があった。案内板によれば、このあたりは長尾氏の居館があった場所で、上杉謙信(長尾景虎)の祖先が住んでいたという。「大正地区歴史散歩の会」の案内なので史実かどうかの確証はない。同じ長尾姓からの連想に過ぎないのかもしれない。

田谷の洞窟

09:55 神社を後にして北に向かう。下ったところが国道1号線で北側に田園風景が広がっていた。国道を越え、田んぼの中の道を10分ほど歩くと田谷の洞窟(定泉寺)に着く。真言宗大覚寺派田谷山定泉寺境内にある修行道の洞窟で、正式名称は「瑜伽洞(ゆがどう)」である。受付で求めたろうそくの灯を頼りに洞内を歩く。天井の低いところがあるので頭をぶつけないように気をつける。地下水がチロチロと流れている。ところどころに「行道」の標識がある。階段を上がるとさらに洞内の道が続く。上下左右に道があるので迷う。三重になっていて総延長距離は1キロほどあるらしい。狭所恐怖症の人は奥に入らないほうがいいだろう。

まさかりが淵市民の森

10:35 田谷の洞窟を後にして北へ歩く。金井高校の西側の小さな丘を抜ける里道があったが10分も歩かないうちに終わり、丘陵を整地して造られたと思われる住宅街が広がっていた。11:20 まさかりが淵市民の森、南東の入口に到着。洞窟から約45分だった。

人影はなく小鳥の声しか聞こえない静かな森だった。左右に道がありどちらに進もうかと思案していると一人の散歩客が左側から現れた。岩手県出身の女性で、田舎を思い出させてくれる森の中をよく散歩するのだという。どんな感じの散歩道なのかを訊ねると、左手の道は谷に下り、広場を横切ってさらに進むと川と滝があるという。20分ほどおしゃべりをした後、滝へ向かった。

森の中の坂道をのんびりと下る。やがて滝の音が聞こえてきた。10分くらいで「まさかりが淵」の案内板があるところに着いた。木々を透かして下方に滝が見えた。さらに左手に下っていく。橋を渡り右手に進むと滝のすぐ近くに着く。幅も落差も小さいが、紛れもない滝である。市街地の真ん中に森があり滝が残っていることに感激する。市民の憩いの場所は残すべきである。

12:40 市民の森を後にして北へ歩く。広大な丘陵地帯のほとんどが開発され、行けども行けども住宅地が続いた。市民の森から横浜市営地下鉄の立場駅までおよそ2時間だった。

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2015