母を見舞った後、妹に志都美駅まで車で送ってもらった。高田から王寺経由で奈良へ行くときに通る駅だが、駅名も知らなかった。田舎の小さな駅だが近代的な駅舎だった。最近立て替えたのだろう。周辺の案内を見ると、徒歩10分くらいのところに志都美神社と武烈天皇陵がある。すでに11時を過ぎていたので見学はまたの機会にして、JR和歌山線に乗ることにした。
車窓の景色を眺めながらのんびりと行く。吉野口、五條を過ぎ、県境を過ぎると5分で橋本に着く。ここで南海電鉄に乗り換えて高野山に行けるのだが、のんびりできるだけの時間がないのでやめた。さて、どこで降りるかな?粉河駅のホームに「西国第3番粉河寺」の案内があったが、駅周辺の景色がもうひとつだったので止めて、紀ノ川まで歩いていける駅で降りようと思った。
スマホで地図を見ると、一番近いのが船戸駅のようだ。紀ノ川に架かる鉄橋を渡るとほどなく駅に着く。駅の風情も気に入ったので降りた。無人駅で駅前には何もない。まっすぐ北へ100mほど歩くと川原に出る道があった。人影はまったくない。川幅は200m、両岸の川原を含めると500mくらいだろう。
誰もいない川原を歩く。石に腰掛け、持ってきたおにぎりと饅頭を食べる。遅い昼食とおやつ兼用だった。右手に和歌山線の鉄橋が見える。左手の橋(岩出橋)を通る道は大和街道(国道24号線)だ。このあたりは旧街道で、現在の国道は紀ノ川の北側(右岸)を走っている。五条を過ぎると伊勢街道と交差するが、24号線は北上し大和高田市、橿原市を経て奈良市へ通じる幹線道路のひとつである。
交通機関のない時代、西国から船で和歌山の港に着いた人々は紀ノ川沿いの大和街道を歩き、高野山、吉野山、さらに足を延ばして南へ下って熊野詣、あるいは吉野から東へ高見山越えの伊勢街道を歩いて伊勢詣をしたのだろう。江戸時代、紀州徳川家の参勤交代の行列は大和街道~伊勢街道を通ったという。
大台ケ原(奈良県)の標高1695m地点を水源とする、全長136kmの一級河川である。奈良県では吉野川と呼ばれる。 (未稿)