藤原宮跡

病院に行った帰り道、おふさ観音を経由して藤原宮跡まで歩いた。コスモスは終わっていた。大和三山がすぐ近くに見える場所で、広々とした原っぱをのんびり歩くのは気持ちがいい。※歩数計17,403歩、歩行距離8km、経過時間3時間。

おふさ観音は、高野山真言宗・別格本山で、この地域ではバラと風鈴の寺として有名である。藤原宮跡を挟んで、東に阿部文殊院、西におふさ観音が位置しており、両寺は「大和ぼけ封じ霊場になっている。

境内のバラ園の花の季節は終わっており、遅咲きのバラがところどころ残っているだけだった。人影はなく静かだった。夏に立ち寄った時は風鈴祭りの最中で多くの観光客でにぎわっていたのを思い出した。

東へ15分ほど歩くと藤原宮跡の西端に着く。何度も訪れた馴染みの場所である。広大な広場を埋め尽くしていたコスモスはほとんど枯れていた。地元の人に訊くと、今年は花が咲くのが遅かったそうで2週間前くらいまでたくさんの人が押し掛けていたそうだ。

名残りの花に一頭の蝶が飛び交っていた。ヒメアカタテハという蝶なのかな?6月くらいから発生するそうで、秋の蝶とはいいがたい。秋の蝶もほとんどが10月初旬までなので、11月初旬に見かけるのは珍しい。たった一頭だけがヒラヒラと飛び、名残りのコスモスの花にとまるのが印象的だった。

枯れたコスモスの原をそぞろ歩く。平日の朝で観光客はいない。カメラマン一人にあっただけだ。真ん中あたりで立ち止まると、大和三山がくっきりと見えた。三山が作る三角形のなかに藤原京がある。いずれの山にも徒歩20~30分で行ける位置である。

真北にきれいな円錐型の耳成山がみえる。高校時代は冬の耐寒訓練の一環で、駆け足で登ったものだ。原っぱを北に歩くと、朝堂院跡がある。いまも発掘調査が続けられていた。その北側の小さな森が大極殿跡である。中央部に鴨公神社が祀られている、近くでは、50人近くの園児たちが遊んでいたが、ほかには人影がほとんどなかった。

母校に立ち寄ると、門のところに女性が立っていた。校舎の一部を借りて、「シニアカレッジ」を開講しており、これから始まる講座の受講者たちを案内しているという。シニア世代を対象に、高校の国語、英語、日本史、世界史の教科書をベースにした講義が行われるそうだ。しばし話した後、かつての通学路をたどって大和八木駅に向かった。

昔、道の途中に大きな屋敷があった。同級生の家だったが、その場所には、今はこじんまりとしたマンションが建っていた。ちょうど通りかかった年配の人に訊くと、マンションの一室に同級生の母親が一人住んでいるという。90歳に近いお歳のはずである。

この同級生には卒業後会うことはなかった。どんな人生を歩んできたのだろうか?いまも気になる存在である。

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