
橿原考古学研究所主催の「中西遺跡第26次調査 現地説明会」に参加した。説明会は午前10時からだったが、前もって現場を見て写真を撮りたかったので9時過ぎに現地に着いた。発掘現場に作業員が何人かいて、説明会と見学の準備をしていた。遺跡の東側に接する形で、高架になった京奈和自動車道が南北に走っている。
遺跡の周囲をぐるっと一周して遺跡全体の写真を撮って戻ると、すでに数十人くらいの参加者が説明会場や発掘現場の中にいた。入り口の案内係の人に訊くと、時刻はまだ9時20分だったが、発掘現場を見学できるという。受付のテントの中には出土した土器類が展示されていた。
素人ながら驚いたのは、これまで見たこともないほど薄い土器があったことだ。担当者に訊くと、現在でもこれほどの土器を製作するのはかなり難しい~という。それほど高度な技術を持った人が1600年前にいたということは驚きである。
午前10時 説明会開始
今回の橿原考古学研究所(橿考研)による発表は、中西遺跡第26次調査~古墳時代前期集落の調査~の結果であるが、説明の中で「秋津遺跡」の話が出てきた。「秋津遺跡と一体となって捉える必要がある~」と言っていた。予備知識がなかったので、中西遺跡と秋津遺跡の違いさえ分からなかった。
帰ってから、説明会で配布された資料を読み直し、ネット検索で調べて、やっと説明内容を理解できるようになった。秋津遺跡と中西遺跡は接していて、同時並行的に発掘調査が実施され、次々と新しい遺跡・遺物が見つかったということである。橿考研の発表資料を2009年にさかのぼって読んでやっとわかった。
- 秋津遺跡で、古墳時代前期の遺構(方形区画施設3基など)が見つかり、土師器、須恵器、勾玉などが出土した。
- つぎに中西遺跡で、弥生時代の水田と森林が見つかった。弥生土器なども出土した。
- 秋津遺跡で、方形区画施設がさらに3基と、竪穴住居群などが見つかった。
- 弥生時代の遺跡の下層から、縄文時代の遺構(流路や溝など)、縄文土器・土偶・石器などが見つかった。
- そして今回、中西遺跡で竪穴建物、掘立性建物、井戸などの遺構と数多くの土器などの遺物が出土した。
これが私の理解である。説明会で話された内容をまとめると下記の通りだと思う。
「ここでは古墳時代前期の遺跡が見えており、下層に弥生時代の遺跡がある。さらに下層には縄文時代の遺跡がある。その高低差は約2メートルである。北東方向に流路があり、洪水氾濫で遺構・遺物が一気に埋まったため保存状態のよい形で出土した。竪穴住居群の広さは400mX200mくらいだと推定している。」
ヤマト政権の計画的な集落(祭祀場か)
新聞記事やウィキなどでは「葛城氏の祭祀空間~」とか「葛城氏が関与した~」云々のこと(橿考研以外の人の発言)があるが、説明会では「葛城氏が直接係わったのではないだろう。有力豪族が関係したことはあるかもしれないが、ヤマト王権が関わっていたと考えるのが妥当である。」といった説明があった。
後で調べると、葛城氏が歴史に出てくるのは5世紀であり、葛城氏と名乗ったのは6世紀の氏姓制度のあとである。つまり、葛城氏が登場する100~200年前の遺跡だから、「葛城氏の祭祀空間」というのは納得できないことだ~と解釈した。葛城氏の祖先が関与していたかもしれないが、これほど大規模な遺構や出土品から考えると、一地方豪族の力ではなく、4世紀前半の中央政権だったヤマト王権が計画的に作ったのではないかというのが、橿考研の見解である。
秋津遺跡と中西遺跡
以下は、説明会から帰って、理解を深めるために過去の経緯などをあれこれ調べた内容である。上述したことと一部重複する。
2010年1月24日の「秋津遺跡 現地説明会資料」によると、2009年に京奈和自動車道建設に先立って、予定地の試掘調査を始めた。その結果、新たに古墳時代前・中期(約1500~1700年前)の遺跡が見つかった。旧地名をとって「秋津遺跡」と名付けられた。
以前から遺跡の存在が分かっていた中西遺跡に連なる形で、秋津遺跡が北東に位置している。橿考研の説明会資料を古い順番に読んで、発掘・発見・発表の経緯を時系列にメモした。
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2009年5月~ 中西遺跡に隣接する北東部の場所が京奈和道路の建設予定地になったので建設開始前に試掘調査を行った。その結果、古墳時代前期の方形区画施設が3カ所、掘立柱建物、溝などが見つかった。これらは、付近の地形に合わせた計画的な配置になっていた。溝や流路からは多くの遺物が出土した。土師器、須恵器、製塩土器、勾玉、管玉などである。この遺跡を「秋津遺跡」と名付け、調査結果を2010年1月に発表した。
- 2010年8月発表(中西遺跡)~ 弥生時代前期(約2400年前)の広範囲の水田と森林が見つかった。これらは厚さ1.5~2mの洪水砂で一気に埋まったため、埋まった時点での状況を検出できた。森林の中では根を張った状態のままの樹木が200本あまり見つかった。弥生土器や石器の破片(サヌカイト片)も多く出土した。
- 2010年11月(秋津遺跡)~ 最初の秋津遺跡試掘で見つかった方形区画施設3基に加えて、さらに3基が見つかった。また、溝と流路に隔てられた北側に竪穴住居群が見つかった。塀状の区画で囲まれた遺構群の性格はなにか?祭場とする意見もあれば、有力首長の居宅だとする考えもある。
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2011年5月 秋津遺跡第4次調査 ~ 弥生時代の遺跡の下層から、縄文時代の流路・溝・ピット、縄文土器・土偶・石器・石製品(硬玉製管玉)などが見つかった。同じ場所からノコギリクワガタが仰向けの状態で出土した。体長約 63.5mm、最大幅 15.0mmの大型の個体である。全身が出土した例は初めてで、考古学だけでなく昆虫学の研究資料としても極めて貴重なものである。この2か月後には縄文管玉が見つかったことが発表されている。
中西遺跡は約2mの層になっており、縄文時代~弥生時代~古墳時代前期の遺跡が折り重なっている。秋津遺跡の縄文・弥生時代の層が中西遺跡につながっており、その断面を検証して分かったということである。
参照資料
- 奈良の中西遺跡で溝跡など出土 4世紀最大の建物群か(2015/8/19 朝日新聞DIGITAL)
- 古墳前期の「住宅街」...奈良・中西遺跡で出土(2015/8/20 Yomiuri Online)
- 浮かび上がる初期ヤマト政権の計画的「宗教都市」(2015/8/20 産経WEST)
- 奈良県立橿原考古学研究所
- 中西遺跡第26次調査 現地説明会資料~古墳時代前期集落の調査~(2015年8月19日 pdf)
- 中西遺跡・秋津遺跡などの弥生水田遺構から採取した水田土壌を使用したイネの栽培(2012年9月5日)
- 中西遺跡第18次調査 現地説明会資料~弥生時代前期水田の調査~(2011年11月15日 pdf)
- 秋津遺跡 現地説明会資料(2010年11月28日)
- 秋津遺跡弟4次調査出土のノコギリクワガタ 報道発表資料 (2011年5月24日)
- 中西遺跡-弥生時代前期の水田と里山- 現地説明会資料(2010年8月7日)
- 秋津遺跡 現地説明会資料(2010年1月24日)
- うるわしき葛城の古代風景・秋津洲古墳の道 地図PDFうるわしき葛城の古代風景・秋津洲古墳の道