美浜駅から国吉城歴史資料館手前の円行寺まで40分かかった。円行寺~光称寺に寄り道をして資料館に着いたのは9時50分だった。案内係りの人に聞くと、城址まで「のんびり歩いて30分くらい」だという。大きなリュックは駅の無料コインロッカーに置き、小さいリュックだけだったので、よし登ろうと意を決した。しかしきつかった。気温が20度を超えていただろう。汗だくになってしまった。下着代わりのTシャツ一枚になっても汗が吹き出た。
二の丸、城主居館跡、連郭曲輪(くるわ)群に立ち寄ったが、約40分で頂上の本丸跡に着いた。長径が50mもない狭い頂上で、佐和山城址、安土城址などと似ていた。青く輝く日本海が樹木の間から眺められた。地図を見ると、北に見えるのが坂尻海水浴場、天王山を挟んで西に見えるのが久々子海水浴場だ。若狭湾にはきれいな海水浴場がいくつかあるのを思い出した。どの海水浴場かは忘れたが学生時代の夏休みに来たことがある。

国吉城のことはまったく知らなかった。信長が越前朝倉攻略のときの前線になった城だ。三方が急峻な崖になっており、北西の尾根(二の丸があった)を下っていくと天王山に続いている。
城主居館跡から西に下る道があった。資料館で聞いたときは「道はあるが整備されていない」ということだった。かなり急な尾根下りですべりやすい。途中に樹木間にロープを張ってあった。ロープがなければ下れなかったかもしれない。2~3回尻もちをついたがなんとか降りた。中ほどで巻き道になったところに祠があった。鳥居があるので神社なのだろうが祠としかいえないような殿舎である。ここからは参道ともいえる山道が続いていた。

麓に着くと鉄網が張り巡らされていた。右手に道があったので行くと墓地だった。縁者がいなくなって手入れがされていない墓石もいくつかあった。その先は行き止まりだったので鉄網まで引き返す。よく見ると一箇所が手で開けられる様になっていた。山の動物が里に下りてこないようにしているのだろう。鉄網を越したところは福寿院という寺だった。この寺の裏山を降りてきたわけだ。
福寿院から少し下ると旧丹後街道にでた。その角を右に数十メートル歩いたところに佐柿関所跡の碑があった。戻って南に歩く。高札場跡で右折して駅に向かう。県道27号(丹後街道)にでた。駅から資料館に向かった道が旧丹後街道で27号線と並行している。駅までまっすぐだが、車道に沿って歩くのは嫌なので途中で村の中に入った。駅まで35分だったがずいぶんと遠い気がしたのは車道を歩いたからだろう。