過日、下永谷から本郷台、鎌倉に至る鎌倉古道中道を歩いた。今回は下永谷から北へ、万騎が原、鶴ヶ峰を経て中原街道と交差する地点まで歩いた。GPS実測距離:17.2km 歩数計:33024歩 経過時間:8時間40分。
広大なゴルフ場開発、住宅団地開発でほとんどの古道が消失した。歩いてみると、かつて緑に覆われていた丘陵が削り取られ、膨大な数の住宅が建設されたことがよく分かる。
下永谷市民の森から御嶽神社
下永谷市民の森の西側を南北に走っている道が鎌倉早駆け道の一部で、古道の面影が残っているが、そうだと聞かないと分からないかもしれない。北西の角近くに五山見亭と呼ばれる東屋がある。晴れていれば丹沢山塊から富士山まで眺められる。
ここから北へ歩く。住宅地に沿って尾根筋の道が通じている。土草の道を歩けるのがうれしい。のんびり20数分も歩けば「御嶽神社」に着く。ここで尾根道は終わり、下っていくと国道1号線にでる。信号を渡ると東海道線をくぐる歩道トンネルがある。住宅街が広がっており、古道らしきものはまったくない。尾根筋らしき住宅地の道を求めて登る。この辺一帯は、35年前までは雑木林の山だったが、東戸塚駅の開業(1980)とともに開発されていった。
高台の住宅地を抜ける
住宅地を歩くこと1時間。横浜新道を渡って、県営川上第一団地を右に見て下っていくと県道にでる。右に行けば東戸塚駅、左に行けば戸塚カントリークラブ~万騎が原に至る。昔何度も車で走った道だが、昔のひなびた地方道の面影はなかった。
ゴルフ場を横切る道の途中に鎌倉古道の遺跡があると聞いた。県道を歩くを避けるために県道に面して横たわっている丘の上に登ることにした。道なき道を探すような感じだったが、Garmin GPSで位置と方角を調べながら歩いた。斜面を切り開いた畑の横を登っていくと山道の入り口があった。
竹林の山道
途中から竹林が広がっていた。おそらくタケノコ収穫用の農道なのだろう。しばらく歩くと右手に巨大なマンションがあった。鉄網で囲いがしてあり入ることはできない。マンション敷地と竹林の間の道が尽きると、視界が開け菜の花畑が広がった。右手にしばらく行くと広大な墓地(もちのき霊園)があった。墓地を横切り、急な階段を下りていくとゴルフ場に通じる道路に出た。ゴルフ場を南北に縦断するように作られた車道で、ほかに歩道がない。春の日差しを浴びながら登って行った。額から汗がにじみ出てくる。
都塚
写真を撮ったりしてゆっくり40分ほど歩くと、ゴルフ場の北端に抜ける。そこに「都塚」の標柱と「南 鎌倉道 西 武相境道」の道標があった。写真では見えないが道標の北面には「二俣川村」と書いてある。道標の横の階段を登ったところに小さな地蔵堂があった。
道標から南へ下っていく道が鎌倉古道 中道だが、いまはゴルフ場になっている。中道の東側を迂回して歩いてきたことになる。「武相境道」はむかしの武蔵国と相模国の境のことで、いまは旭区と戸塚区の境になっている。この場所から真南の方向に鎌倉の都を一望できたことから「都塚」と呼ばれたそうだ。地蔵堂から眺めてみたが何も確認できなかった。
都塚から北に延びる中道は、車道になっている。車道は歩きたくない。左側に「こども自然公園」の入り口があったので公園の中を歩いていくことにした。思いのほか豊かな自然が残されていた。西側は谷になっているが遊歩道がめぐっている。谷から登ってきた人に聞くと、まっすぐ北へ行くと桜山があるというので寄り道をした。
こども自然公園~桜山~
桜の季節はまだ先だが、花見客がいた。まだつぼみなので花見とはいえないが、桜の樹の下に座って弁当を開いているグループもいた。一週間後には見ごろになり大勢の人が押し掛けてくるのだろう。時刻は11時30分になっていた。朝から3時間以上も歩きっぱなしだった。見晴らしの良い桜山の一角に座って、しばしのんびりとした。
桜山を北へ下って少し東へ歩くと、ゴルフ場からつながる車道に出る。その角に「鎌倉道」の標識がある。西へ歩くと大池があった。ソフトクリームを買い求め、大池の写真を撮って、東へ引き返した。道標には「南 鎌倉道 西 大山道」と刻まれていた。西に行く道は丹沢の大山への参詣道であった。
この道標から北は住宅地になっており古道は消失している。近くの駅をGarminで測定すると北北西1.4kmに二俣川駅、北北東2.8㎞に鶴ヶ峰駅があった。時刻は12時46分。日暮れまでたっぷり時間があるので、鶴ヶ峰駅を目指して歩いた。古道の痕跡はないが古地図ではこの方角に鎌倉中道が走っていたはずだ。

鶴ヶ峰へ
住宅地の尾根筋だったと思われる道を探しながら歩いた。国道16号線(保土ヶ谷バイパス)、新幹線を跨ぎ、相鉄線踏切にでるまで1時間半ほどだった。新幹線の動画を撮ろうと跨線橋で時間を費やしたため時間がかかった。保土ヶ谷バイパスの手前で一か所だけ古道を思わせる掘割状の道があった。中道跡かどうか確証はない。
畠山重忠の首塚
地元の人が、旭区役所の裏道に畠山重忠の首洗い井戸があると教えてくれたので行ってみた。鶴ヶ峰駅の西400mほどの地点だった。裏道を挟んで斜め向かいには「首塚」があった。畠山重忠ゆかりの地だとは知らなかった。区役所は休みで聞くことができなかったので通りがかった地元の人に教わる。親切な人で古戦場跡まで案内してくれた。「少しここで待ってくれれば自宅にある案内パンフレットを持ってくる」というのでしばし待つことにした。
待つ間に重忠のことをスマホで調べた。鎌倉幕府の有力御家人で知勇の武将だった。頼朝の死後、北条時政の策謀(後妻の牧の方の讒言)により滅ぼされた悲劇の武将でもある。義時率いる大軍と戦い、討ち死にした(1205年)のがこの場所だという。古戦場跡の石碑が建っていた。※先週、本郷台駅から鎌倉まで歩いた時に、八幡宮の近くに「畠山重忠邸跡」の石碑があったのを思い出した。
さかさ矢竹


「我が心正しかればこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ」
戦死の直前に重忠はこう叫んで、矢箆(やの)を地に突きさした。やがてこの矢は自然に根付き毎年2本ずつ生えて茂り、「さかさ矢竹」と呼ばれるようになったと案内板に書いてあった。
薬王寺と駕籠塚
案内パンフレットを持ってきてくれた人が、ほかの名所・史跡を説明してくれた。畠山重忠をはじめ一族郎党134騎を埋めたと伝えられる6つの塚があるのが薬王寺。重忠の内室「菊の前」が合戦場に駆けつけたが、重忠戦死を聞いて駕籠の中で自害。駕籠のまま葬られたので「駕籠塚」と呼ぶそうだ。薬王寺はすぐわかったが、坂道が入り組んでいて駕籠塚の場所がなかなか分からなかった。鶴ヶ峰神社のすぐ近くの道路際にあった。
ふるさと尾根道
時刻は15時32分になっていた。鶴ヶ峰駅へ戻る経路を地図で確かめる。同じ道を戻りたくない。北東に白根神社、不動尊がある。谷を挟んでおり、かなり遠回りになる。通りがかった年配の女性に聞く。「車道は歩きたくない、尾根道とか草土の里道はないか」と問うと、「ふるさと尾根道緑道がある」という。興味が起きた。しかし駅とは反対の北へ向かう道だそうだ。どこに行きつくのか不明なので、先で電車やバスの駅があるかと問うと、中原街道にでるのでそこからバスで相鉄線かJR横浜線の駅に行けるとのこと。迷っていると、「私も行くので案内します。すぐそこです」というのでついていくことにした。
50代と思しき女性で小柄だがスタスタと速足で歩く。ついていくのに苦労するくらいだ。自分はすでに7時間以上、25000歩以上歩き、一回しか座って休んでいないので足がクタクタだった。予定外に遠距離を歩くことになったが、期待をはずれなかった。おそらくこれが鎌倉中道だろうと思った。等高線地図を見ても、この緑道いがいに尾根筋の道はないからだ。市営の水路(埋没されている)になっており、それがために住宅開発を免れたのだろう。緑道の両側は住宅がひしめいているが、道幅が広く桜並木もある尾根道なので歩くのが楽しかった。およそ1時間で中原街道に出た。
四季の森公園を経てJR横浜線の中山駅まで4㎞ほどだった。歩こうかな~と思ったらバス停がすぐ近くにあった。三つ境駅行きのバスが10分後に来る。時刻は16時半になっていたのでバスに乗って帰ることにした。