
2014/09/04(木) 雨のち曇り 名勝大乗院跡庭園~志賀直哉旧宅~新薬師寺~旧柳生街道~春日大社。
GPX距離 14.35km 25373歩 歩行経路 goo.gl/8Zxd1U
午前7時起床。どこに行くか決めていなかった。午前中は、8時に出て柳生街道を3時間ほど歩いて戻ればホテルのチェックアウト時間に間に合うと思ったが、奈良市内は朝から雨模様だった。天気の様子を見ながら写真の整理をしていたら9時になってしまった。チェックアウトをしてホテルに荷物を預けて出かけた。小降りで風がなく蒸し暑かった。雨具を身に着けるほどでもなかったので傘ををさしてのんびり歩いた。時折本降りになったので喫茶店、文化館、食事処でそれぞれ1時間くらい雨宿りした。
名勝大乗院跡庭園
とりあえず柳生街道の方向に歩いた。途中、奈良ホテルの隣りに緑がきれいな広々とした庭園があるのに気づいた。鉄柵に囲まれているが隙間から写真を撮ることができた。ぐるっと半周すると入口があった。大乗院跡庭園だった。昔はなかったはずだ。館内で訊くと、4年前に整備され一般に公開されるようになったのだという。それまでは15年間も発掘調査が続いて荒地だったそうである。
庭園内に人影はなかった。館内は無料だが庭園に出るときは入園料100円だ。雨は上がっていた。しばらくすると結婚式を挙げたばかりの新郎新婦ほかがやってきた。記念写真を撮りにやってきたのだ。春日大社や菊水苑で挙式した後ここで写真を撮るカップルが多いそうだ。奈良ホテルは敷地内の庭園で記念写真を撮る。
彼らが去った後また一人になった。東屋で腰掛けてのんびり過ごす。またポツポツと雨が降ってきたが柳生街道に向けて歩き始めた。
緩やかな坂道になるとエネルギーを使うからだろうか、蒸し暑さがまして汗が噴出してくる。こじんまりとした食事処があったので雨宿りをかねて入った。隣りに座っていた地元の人とあれこれ話す。すぐ近くに志賀直哉旧宅があり、そこからさらに行くと新薬師寺があると教えてくれた。
志賀直哉旧宅
志賀直哉旧宅が奈良にあるのを知ったのは今年4月に尾道へ行ったときだった。志賀直哉文学館というのがあった。そこの案内の人が教えてくれた。尾道の家は、志賀直哉が若いときに家出をして一週間ほど滞在した友人の家だそうだ。住んでいたわけではないが、滞在したというだけで観光資源になっている。
三条通りの坂を登っていくと左手に案内板があった。左手の道を数分くだったところにあった。春日山原生林境界のすぐ近くだった。旧宅は文化庁が管理する重要文化財だ。昭和3年に志賀直哉が設計して建てた数寄屋造りの二階建ての家である。
新薬師寺・十二神将
三条通にもどりしばらく行くと右手に新薬師寺への道があった。柳生街道から少し外れていくが寄ってみることにした。10分もかからなかった。雨は本降りになっていた。入口で一緒になった女性は、今朝東京を発って来たのだという。新薬師寺には何度も来ているという。なにがそんなに惹かれるのだろう?信仰心からだろうか?訊く前に、本尊の仏像がすばらしいのだと応えてくれた。「国宝」なのだそうだ。拝観料600円の価値があるのだろう。境内は広くはない。本堂もこじんまりしている。※堂内は撮影禁止。画像はWikiから拝借した。
中に入って思わず「お~」と感嘆の声をあげてしまった。十二神将が本尊をぐるっと囲むように立ち並んでいた。天平の造りだそうである。本尊は平安時代に入ってから造られたが、十二神将は天平時代に作られたものがそのまま残っている。となりの庫裡では、新薬師寺の由来を紹介するビデオが流されていた。山梨からきたという50代くらいの女性が一人座っていただけだった。しとしと雨が降る庭園は静かだった。
※右の写真はCGで再現された伐折羅大将像(バザラ Vajra 金剛力士像)。〔出典〕JR東海サイト
同じ道を戻るのは気が進まないので、柳生街道にでる東の方角に歩いた。右手に山之辺の道・白豪寺の案内板があった。興味が湧いて右折するがどんどん方角が違ってくるので左に見えた山道に入った。突き当たりの高台に学校があった。あとで分かったのだが飛鳥中学校だった。方角を正すために左に曲がるが行き止まりになってしまった。元の道にもどりさらに登っていくとまた行き止まり。
蛍川で迷子
右手に下ったところが蛍川で、毎年6月には多くの蛍が飛び交う・・・と案内板があった。しばらく川沿いを下るが反対方向になることに気付き、また引き返す。東方向は行き止まりで鉄柵の門があった。この先行き止まりと消えかかった案内があったが、門が開いたので入っていった。田んぼのあぜ道になり、こんどは大きな高い鉄柵にぶつかってしまった。民家だった。鉄柵の先に車道が見える。幸いというか、人影が見えたので声をかけた・・・。「道に迷ったのですが、あそこに見える道に出られませんか?」 ありがたいことに鉄柵を開けてくれた。
柳生街道はまだ先だった。白乳神社と書いた祠を通り過ぎたあたりに郵便局の人が二人休んでいた。まっすぐに車道があるが左手の川沿いの道が見えた。左を行けば柳生街道ですか?と訊いた。地元の人ではなく郵便局の営業で回っている人なので分からないといってバイク荷台から分厚い地図を出して調べてくれた。25000分の一の地図よりもっと詳しい地図だった。それによると車道をさらに十数分、村中を通り過ぎれば、そこから山道になる。それが柳生街道の入口だろうと教えてくれた。朝日観音の印しもあり、おおよそ20分くらいではないかと地図から読み取ってくれた。
旧柳生街道へ
村のはずれに来ると左手下方に谷川が見えた。そこから未舗装の山道になった。小さな橋を渡ると古道らしい雰囲気の坂道になる。谷川を右に見ながら登る。「滝坂の森演習林」の案内板があった。林業の演習だろうか?自衛隊の演習場ではないだろう。「滝坂の道」と命名されているのはいくつもの小さな滝がある沢沿いの道だからだろう。途中から石畳になる。人が通ることが少ないのか、苔むしている所が多い。石畳は雨に濡れて滑りやすい。
朝日観音?
朝日観音の標識を探しながら歩くがなかなか見つからない。山道を20分ほど歩いたところに「寝仏」の標識があった。雨が降り薄暗いため、どれが寝仏か分からない。見当をつけて何枚か写真を撮った。ここから5分ほどのところに「夕日観音」の標識があった。しかしどれが夕日観音の石仏なのか分からない。何枚か写真だけ撮った。もともと朝日観音を見て引き返そうと思っていたのだが見落としてしまったのだろう・・・そう思って夕日観音で引き返すことにした。ブト(ブヨ)、アブがブンブン飛んできて刺されてしまった。傘で追い払ってもまた飛んでくる。引き返すしかなかった。
夕日観音
帰り道、注意深く朝日観音の標識を探したが見つからなかった。あとで分かったのだが、朝日観音は夕日観音の先にあった。見つからないはずだ。村中でベールのようなものをかぶった人に出会った。「朝日観音はどのあたりにあるのですか?夕日観音まで行ったのですが見つからない」と尋ねると、「夕日観音の先ですよ」という。見つからないはずだ。勘違いをしていたということだった。
夕日観音の石仏もどれだか分からなかったといって撮った写真を見てもらった。どの写真にも写っていないという。もっと上のほうにあって樹木の隙間からしか見えないという。道からは無理で崖を登らないと見えないのだ。夕日が当たると分かりやすそうで、今の時期は午後2時~3時に夕日が当たるのだという。深い谷になっているので陽が沈むのが早いということだ。
※後日撮った写真を整理して夕日観音を見つけた。標識の後ろ上方に見える。
「アブのような虫が飛んできて追い払うのに苦労した」というと、「今の時期は長ズボン長シャツで顔には虫除けの網をかぶらないといけない。このようにいつもかぶっている。」と言う。ベールのようなものは虫除けの網だった。ところで、昨日奈良町で蚊帳を売っている店を見たが、いまでも蚊帳を使っている人がいるのですかと問うと、年配の人はいまも蚊帳を使っていますよという。自然とともに暮らす昔ながらの生活がいまも残っているのだと感激した。
奥の院から春日大社へ
飛鳥中学校までもどって右手の森の中へ入った。さらに右手の坂道を上る。「奥の院道」の標識があった。紀伊神社が奥の院と言われていたことに由来する。紀伊神社から北西に杉の並木道を行くと若宮神社に通じる。平日の夕暮れが迫る時間帯だからだろうか、人影は少ない。外国人、カップル、女性の一人旅が目立つ。
春日大社で女性二人組に会った。近鉄奈良駅に行く道を訊かれる。同じ方向なので一緒に行くことにした。台湾とオーストラリアからの留学生で、今日は神戸から日帰りできたという。一人が来週帰国予定なのでお別れの日帰り旅だそうだ。記念に後姿の写真を撮ってあげた(笑)