

縮景園~広島城~原爆ドーム~比治山公園~広島駅15:30~岩国16:20~錦帯橋 ; 総移動距離68.3km 12時間33分 標高差56m 総歩数23,156歩(広島18,276+錦帯橋4,880)
縮景園
1620年、広島藩主浅野家の別邸として築かれた。戦前は泉邸として市民に親しまれたが、原爆で破壊された。戦後に日本庭園として復活。色とりどりの花がたくさんあり、池の周囲は起伏に富んだ遊歩道として整備されていた。原爆で亡くなった人たちの慰霊碑もいくつかあった。写真を撮りながらのんびりと散歩した。気がついたら時刻は11時になろうとしていた。2時間余もいたことになる。
広島城跡

深センからきたというカップルがモデルのようなポーズをとって撮影していた。頼まれて何枚か二人の写真を撮ってやった。マレーシアから来た三人組は、この後安芸の宮島に行くという。またそこで会うかも知れないねといって別れた。私も厳島神社の夕景を撮りに行くつもりだった。
※旅を終えた後、15日深夜に「歴史ヒストリア-幻の聚楽第」を再放送していた。大阪城と広島城には共通の特徴がある。廻り縁や破風が似ている。これは聚楽第の様式を真似て造られたのだという。そうとは知らずに眺めていた。
原爆ドーム
来訪者の多くが外国人だった。何人かに声をかけた。ドイツ、マレーシア、スペイン、エストニア、カナダからきたという人たち。十数人のツアー客は熱心にガイドの説明に耳を傾けていた。日本人は意外と少ない。日本人こそ原爆の重みを受け止め、事実をしっかりと把握する必要がある。
広島の街中を歩いているとあっちこっちに慰霊碑があることに気づく。戦後20年経って、ここで数百体の遺骨が見つかった~といった碑文があり、悲しみの現実がひしひしと伝わってくる。
比治山公園
市街地を横断して比治山公園まで歩いた。2km以上あり、たっぷり30分かかった。慰霊の森を過ぎ、橋を渡る。トンネルの両側に登り階段があった。160段ほど登ると視界が開ける。車道を横切ってさらに階段を登るとちょっとした公園があった。お弁当を広げている人たちが何人かいた。時刻は1時。ベンチに座り、昨夜に買っておいたフランスパンにかじりついた。
隣にいた女性二人組とおしゃべりを始めた。広島の人だった。この後、宮島に行くといったら、「あなごめし、食べます?」と聞かれる。好物である。「藤田屋のあなごめしがお勧めです」と教えてくれた。紅葉饅頭は駅の売店で売っているが、宮島に渡ったら「やまだ屋の饅頭は、自家製でおいしい」のでお勧めだとも教えてくれた。
※後日談になるが、翌日宮島に行ったときには、このとき聞いた藤田屋、やまだ屋あるいはふじい屋か?、その名前をすっかり忘れてしまっていた。宮島の集落で掃除をしていた地元の人に確認にして場所も教えてもらった。藤田屋のあなごめしを堪能し、やまだ屋の抹茶もみじと栗っこもみじをおやつに買って帰った。
二人とも心根のやさしい人で、気持ちよく私の話に付き合ってくれた。気がついたら1時間も話していた。楽しい歓談だった。「弥山に登ると3時間以上は必要なので今日はやめて明日のほうがいいかも知れません」とアドバイスしてくれた。3時間もかかるとは知らなかった。
広島駅方向を目指して歩き出した。途中で、「彫刻の小路」の案内があったので右手の坂を上っていった。そのままうねうねした道をおりたので方向を見失ってしまった。反対側からきた地元の人に、スマホの地図を見せて聞くと、「これ間違っていますよ」という。グーグルの地図が古く不正確だったようだ。GPSmapを見ると分かった。反対方向に下りてしまっていた。道を教えてもらって駅に着いたときは、3時半になっていた。
アパ広島に連泊しようと思ったが翌日は満室だったので仕方なく空き室があった岩国のアパ(パートナーズホテル)を予約した。これがまた新しい偶然の発見と思い出に残る出会いをもたらしてくれた。広島から岩国まで1時間弱だった。