前々から気になっていた函南駅で途中下車して近辺を歩いた。昼過ぎに西へ向かいながら宿を探したがどこも満室だった。十数件調べてあきらめ大和まで移動することになった。こんなに宿が見つからなかったのははじめてだった。
丹那トンネル
東海道線下りの熱海駅をでるとすぐトンネルに入る。丹那トンネルである。全長7.8km、1934年完成当時は清水トンネルに次ぐ日本第二位の長さであった。私の小学校のときの教科書にはそう書いてあった。その後新幹線や高速道路の建設に伴って、全長10km以上のトンネルは24を数えるようになったが、丹那トンネルは東海道本線ではいまも一番長いトンネルである。修学旅行で東京に行ったときに通った思い出のトンネルでもある。何十回も東海道線を往復する途中、多くの駅で下車したが今回初めて函南駅で下車した。熱海駅からの長いトンネルを抜けると、そこが函南駅である。
原生林といで湯の里?
駅前の道路を渡ったところに「原生林といで湯の里」と書いた碑があった。南へ下っていくと畑毛温泉、伊豆仁田、韮山、伊豆長岡に通じる。北側には小高い丘が連なっている。駅前には5~6人がタクシー乗り場に並んでいた。畑毛温泉方面へのバスの便はない。タクシーは片道1600円だ。歩くと1時間はかかる。時間的余裕がないので今回はあきらめ、北側の山手に向かって歩いた。
駅でもらった函南観光案内パンフレットは距離も方位もでたらめなので役に立たない。案内図では原生公園や旧東海道、山中城跡が駅の近くにあるように書かれているが、歩く途中にあった標識には8.4kmと書いてあった。箱根に向かう登り道なので、写真を撮りながらのんびり歩くと3時間はかかる。
案内図を見て興味を持った場所はいずれも徒歩では遠すぎるのであきらめた。駅前の車道を右に緩やかに下って数分のところに「北條宗時・狩野茂光の墓 此の上高台」という案内板があったので上った。苔生した小さな墓標とその右手にひときわ大きな墓碑があった。北條宗時・狩野茂光の名が刻んであるが、裏側をみると昭和19年に建立された戦勝記念碑であることが分かってがっかりした。
車道はやがてT字路になる。右に折れて坂道を上る。東海道線と新幹線の下のトンネルを抜けると「春日神社の大クスノキ」というのがあった。根本周囲11.33m、樹高17.5m、樹齢850年で、県指定天然記念物に指定されている。すぐ横を新幹線が走っている。新幹線工事前は20m以上あったそうだ。
自然と住環境の破壊
新幹線が数分おきに走る。これほど多く走っているとは意外だった。これでは近隣の騒音や地響きがひどく、住環境は最悪の状態だろう。緩やかな斜面が広がる山間ののどかな風景が台無しになっている。
春日神社は小さな祠のような社殿があるだけで住職もいない。ここから車道をさらに北へ向かうと「ほとけの里美術館」があり、グーグル地図には熊野神社や宋源寺の印しがあるが、ぐるっと回って函南駅に戻るためには数時間は歩くことになりそうなので引き返した。

駅からの車道をまた歩くのは嫌なので、東側に見える小高い山に通じる道を探して歩いた。菜の花やこぶしの花が咲き、背景に新幹線の高架が走る。のどかな山里を横刺しにした物質文明の象徴のようだ。新幹線工事の代償として、豊富な地下水は失われ、湿田が乾田になり、7ヶ所あったわさび沢も失われたという。
物質文明に歯向かう気はないが、過去5年間で30回くらい横浜~奈良を往復したが新幹線に乗ったのは二回だけだ。時間に追われるより、時間の流れに任せて生きるのも悪くない。そんな思いが脳裏をよぎった。よそ者の感傷だが、この土地に暮らしてきた人々が払った代償は大きなものだったのだろう。
丘の上の散歩
丘をのぼり詰める頃、竹林を背景した菜の花が咲き、その近くには青空と暗雲を背景に桜が咲き誇っていた。オオカン桜なのか河津桜なのか、その種類は私には分からないが、ソメイヨシノでないことは分かる。
丘の頂上近くの右手に南側の函南駅に下る道があった。丹那台地を一望することができた。ここから函南駅まで十分ほどである。時刻は13時過ぎだった。
函南散策 9,628歩 歩行距離4.0km 標高差70m 経過時間2時間20分

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アパは満室!
今回は青春18きっぷを利用して東海道本線途中下車の旅をするつもりだった。ところがその夜の宿を探すがどこも満室だった。東海道沿線ではアパホテルを使うことが多い。浜松、名古屋、大垣、彦根、京都で泊まったことのあるアパ10軒はすべて満室だった。東海道線から逸れた岐阜県、三重県のホテルも一軒を除いて満室だった。空き室のある多治見は駅から徒歩では行けないところだった。静岡~京都の間にはパートナーズホテルがたくさんでき、少なくとも30件はある。しかしいずれも満室だった。
とりあえず浜松まで移動し途中下車した。駅近くを歩くとたくさんのホテルが立ち並んでいる。ひょっとしたら空いているかも知れないと思い、数件立ち寄って聞いたがやはり満室だった。こんなことは初めてだったが、考えてみれば春休み最初の連休で、今日は彼岸のお中日だった。
法外な宿泊代
ホテル・旅館業界では稼ぎ時である。宿泊代金も高くなっている。一番驚いたのは、浜松のアパホテルだ。昨年にパートナーズホテルから買収されてアパホテルになり、先々月に泊まったときはキャンペーンで素泊り3,500円だった。それが3月21日は素泊り9,400円になっていた。アパ標準ホテルに比べるとかなりグレードが低い。サービス品質もそれほど良くないのに、需要が多いからという理由だけで法外に高額になるのは、顧客価値を無視した価格付けである。

浜松のなじみの店でうな重を食べながら範囲を広げてホテルを探したが見つからなかった。奈良まで一気に帰るしかなかった。時刻は18時。のんびりしていると終電車もなくなる。春先の陽気は消え、寒風が吹き気温が下がっている。野宿するわけにもいかない。
子の刻に帰宅
豊橋で乗り継ぎの電車を間違ってしまった。関西本線経由では奈良駅からの最終電車に間に合わないことが分かったので急遽米原、京都経由の電車に変更した。京都から近鉄の橿原神宮行き最終電車に間に合う。
時間を気にしないでのんびりと行く私の旅のスタイルはもろくも崩れてしまった。
駅の温度計をみると3℃だった。寒風が吹き体感温度は零下のようだった。春の服装では耐えがたい。たった一軒しかない店で買った肉まんをカイロ代わりにして、真っ暗な夜道を急いだ。徒歩30分の道のりを急ぎ足で帰り着いたときは子の刻を過ぎていた。
総歩数 17,504歩
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