火曜日の早朝、天気が回復すると知って急遽出かけることにした。ぶらり旅なのでそのときの気分で行き先が変わるが、
今回は交通不便な地方なのであらかじめ宿を予約した。白浜温泉、熊野の川湯温泉、そして十津川の上湯温泉の宿を急遽予約した。
最初の途中下車駅は紀勢本線御坊駅にして、その日のうちに白浜温泉に移動することとした。。
週末に和歌山方面、新宮とか熊野古道に行こうかと思って下調べをして、交通の便が非常に悪いことを知った。 これまでは横浜~奈良の往復でローカル線を利用し、思いついたところで路線を変え、 興味をそそられる駅で途中下車して周辺を散策するのが私のぶらり旅のスタイルだった。 しかし今回ははじめて奈良から南へ向かい奈良に戻る旅にした。
ぶらり旅の計画
JR高田駅始発の午前6時9分和歌山行きに乗ると、五条、和歌山、御坊、紀伊田辺で乗り換えて新宮まで8時間弱。 午後2時前に新宮駅に着く。新宮駅周辺を歩き、速玉神社か那智大社を見学する時間はある。 話の種に一度は訪れたいとは思うが、そういう時間に縛られた観光的な旅は私の好みではない。
途中下車して散策を楽しめるところはないかと探したが、私の興味をそそるところは少ない。 紀勢本線に乗るのは初めてなので勝手が分からないこともある。東海道線や中央本線は何度も乗っているので距離感、時間感覚があり、 電車の運転間隔も長くて1時間だから、ぶらりと途中下車して次の列車に乗ることができるという便利さがある。
新宮方面は、紀伊田辺までは1時間間隔だが、そこから先は本数が極端に少ない。始発が10時44分、つぎが13時15分、これを逃すと16時41分まで電車はない。 途中下車したいところも思いつかない。ということで今回は新宮まで行くのはあきらめ、とりあえずその夜は、三大古湯で有名な白浜温泉で一泊することにした。 素泊り3350円の宿があったので即予約して出かけた。
紀勢本線御坊駅
地図を見ていて興味を覚えたのが「御坊駅」だった。駅周辺に亀山城跡、本願寺日高別院(日高御坊)、塩屋王子神社がある。 途中下車することにした。
亀山城は、南北朝から戦国時代にかけて有田・日高・牟婁郡を支配した湯川一族の本城だったが、 羽柴秀吉の紀州侵攻(1585年)により落城し、その後廃城となったそうだ。御坊駅のすぐ近くにある。耳成山くらいの小さな山一帯が城跡だ。 天候が悪く、どんよりした空で寒風が吹いていた。あまり絵にならない景色だ。
紀州鉄道というローカル線があった。 歩きつかれて時間がなくなったら帰りに乗るのもいい。どちらに歩こうかとスマホで地図を見る。WiMAXがつながらないので現在地を特定できない。 そういうこともあろうかと和歌山駅を出るときに御坊周辺の地図をダウンロードしておいた。見知らぬ土地を歩くときは地図が必須である。 人っ子一人会えず、土地の人に道を聞くことができないときがあるからだ。
日高御坊の方向にぶらぶら歩いた。車道路を避け、田んぼ道を歩く。田んぼの向こうに集落があった。 ご他聞に漏れず、田舎道は左右斜めに通じており方向を見失いがちになる。気がつくと紀伊御坊駅の近くで、日高御坊に通じるまっすぐな道に出た。 土地の年配の人に聞くと、「昔は御坊参りの人でにぎわっていたが今はさびしくなった」という。
日高御坊
日高御坊の正式名称は「本願寺日高別院」、京都西本願寺の別院だそうだ。もともとは日高川の対岸にあったが、 秀吉の紀州攻め(根来・雑賀衆との戦い)のときに焼けたため、現在地に再建したそうだ。 古くは熊野古道に位置し、江戸時代以降は日高御坊を中心に門前町が形成され、戦後は町村合併で「御坊市」になった。 紀中・日高地域の中核都市である。
紀伊御坊駅から10分ほど歩くと日高御坊に着くはずだが見当たらないので通りかかった中学生に聞く。京都の本願寺の別院なので、 それなりの門構えかと思ったがそうではなかった。門の通用口に「御坊幼稚園」の看板があった。境内に幼稚園の校舎があり、子供たちが遊んでいた。
「先生、ちいちゃんがあのおじさんかわいいって!」というこどもの声がした。どうも私のことらしい。 野球帽をかぶり赤いリュックを背負っていたからかも知れない。胡散臭いおじさんより、かわいいおじさんに見られるほうがいいと思った。
本殿はさすがに大きかった。広角レンズでないと全体がおさまらない。正門を入ったところに大きな銀杏の木があった。 いまはすっかり葉が落ちて寒々としていたが、秋の色づいた黄葉をまとった姿は、さぞかし威風堂々としていたことだろうと思いをめぐらした。
日高川
日高御坊をあとにして日高川に向かった。10分ほどで堤防に出た。堤防沿いに南へ数百メートル歩くと天田橋北詰めで、国道42号線が走っている。 昔の熊野街道だがその面影はない。天田橋は300メートルほどありそうだ。このあたりで川幅が狭くなっているが、海に近く水深は深そうだ。 昔は熊野詣で往来する人々のための渡し船があったのだろう。
天田橋を渡って熊野街道を南へ十数分下ったところに塩屋王子神社がある。 熊野古道九十九王子の一つで、その中でも特に古く格式の高い王子社であったといわれている。 古来より「美人王子」とも呼ばれ、祈願すれば美しい子供を授かるというので安産祈願の御参りに来る人がいまも多いという。
紀州鉄道
熊野街道を北へ歩く。天田橋北詰から10分ほどで西御坊駅に着く。時刻表を見ると次の電車は1時間後だった。 歩こうと思ったら電車が到着した。怪訝に思って運転手に聞くと、「発車は1時間後です」とのこと。しばし雑談する。 紀州鉄道はもともとは日高川から材木などを運ぶために建設された臨港鉄道だったという。
終点は日高川駅だったが十数年前に廃止された。 鉄道ファンは紀伊御坊駅に車庫があるのでそこに行く。「そこまで歩いても10分くらいです」という。紀州鉄道は路線距離2.7キロ、 起終点駅を含めて5駅の短い鉄道だ。地元の人は歩くという。確かにそうだ。私だって御坊駅から日高川まで歩いた。 寄り道せずにまっすぐ早足で歩くと30分くらいだろう。
線路内に「立ち入り禁止」の看板はない。 地元の人も歩いているようなので私も線路沿いに歩いてみた。電車は自転車でゆっくり走るくらいのスピードなので危険はないのだろう。 線路にみかんが散らばっていた。のどが渇いていたので拾って食べる。ジューシーでおいしかった。
紀伊御坊駅
西御坊から市役所前駅を経て紀伊御坊まで徒歩10数分くらいだ。駅の左手に行くと車庫があった。 全部で2両しかないそうで、車庫の外に非番の車両がぽつんと置いてあった。レトロな車両で、鉄道ファンが見学に来るのだろう。 私も写真を撮り、数十分待って記念に乗車した。学生と思しき男二人が乗っているだけだった。
西御坊で会った運転手さんとまた話をしながら、数分間のローカル電車の旅を楽しんだ。御坊駅で16時18分初の紀伊田辺行き電車に乗る。 「紀伊田辺で乗り換えて白浜に行ってもそこからまたバスになるから、本数の多い紀伊田辺駅から白浜温泉方面行きのバスに乗ったほうが良い」 と件の運転手さんが教えてくれた。紀伊田辺駅で10分ほど待ってバスに乗った。
週末に和歌山方面、新宮とか熊野古道に行こうかと思って下調べをして、交通の便が非常に悪いことを知った。 これまでは横浜~奈良の往復でローカル線を利用し、思いついたところで路線を変え、 興味をそそられる駅で途中下車して周辺を散策するのが私のぶらり旅のスタイルだった。 しかし今回ははじめて奈良から南へ向かい奈良に戻る旅にした。
ぶらり旅の計画
JR高田駅始発の午前6時9分和歌山行きに乗ると、五条、和歌山、御坊、紀伊田辺で乗り換えて新宮まで8時間弱。 午後2時前に新宮駅に着く。新宮駅周辺を歩き、速玉神社か那智大社を見学する時間はある。 話の種に一度は訪れたいとは思うが、そういう時間に縛られた観光的な旅は私の好みではない。
途中下車して散策を楽しめるところはないかと探したが、私の興味をそそるところは少ない。 紀勢本線に乗るのは初めてなので勝手が分からないこともある。東海道線や中央本線は何度も乗っているので距離感、時間感覚があり、 電車の運転間隔も長くて1時間だから、ぶらりと途中下車して次の列車に乗ることができるという便利さがある。
新宮方面は、紀伊田辺までは1時間間隔だが、そこから先は本数が極端に少ない。始発が10時44分、つぎが13時15分、これを逃すと16時41分まで電車はない。 途中下車したいところも思いつかない。ということで今回は新宮まで行くのはあきらめ、とりあえずその夜は、三大古湯で有名な白浜温泉で一泊することにした。 素泊り3350円の宿があったので即予約して出かけた。
紀勢本線御坊駅
地図を見ていて興味を覚えたのが「御坊駅」だった。駅周辺に亀山城跡、本願寺日高別院(日高御坊)、塩屋王子神社がある。 途中下車することにした。
亀山城は、南北朝から戦国時代にかけて有田・日高・牟婁郡を支配した湯川一族の本城だったが、 羽柴秀吉の紀州侵攻(1585年)により落城し、その後廃城となったそうだ。御坊駅のすぐ近くにある。耳成山くらいの小さな山一帯が城跡だ。 天候が悪く、どんよりした空で寒風が吹いていた。あまり絵にならない景色だ。
紀州鉄道というローカル線があった。 歩きつかれて時間がなくなったら帰りに乗るのもいい。どちらに歩こうかとスマホで地図を見る。WiMAXがつながらないので現在地を特定できない。 そういうこともあろうかと和歌山駅を出るときに御坊周辺の地図をダウンロードしておいた。見知らぬ土地を歩くときは地図が必須である。 人っ子一人会えず、土地の人に道を聞くことができないときがあるからだ。
日高御坊の方向にぶらぶら歩いた。車道路を避け、田んぼ道を歩く。田んぼの向こうに集落があった。 ご他聞に漏れず、田舎道は左右斜めに通じており方向を見失いがちになる。気がつくと紀伊御坊駅の近くで、日高御坊に通じるまっすぐな道に出た。 土地の年配の人に聞くと、「昔は御坊参りの人でにぎわっていたが今はさびしくなった」という。
日高御坊
日高御坊の正式名称は「本願寺日高別院」、京都西本願寺の別院だそうだ。もともとは日高川の対岸にあったが、 秀吉の紀州攻め(根来・雑賀衆との戦い)のときに焼けたため、現在地に再建したそうだ。 古くは熊野古道に位置し、江戸時代以降は日高御坊を中心に門前町が形成され、戦後は町村合併で「御坊市」になった。 紀中・日高地域の中核都市である。
紀伊御坊駅から10分ほど歩くと日高御坊に着くはずだが見当たらないので通りかかった中学生に聞く。京都の本願寺の別院なので、 それなりの門構えかと思ったがそうではなかった。門の通用口に「御坊幼稚園」の看板があった。境内に幼稚園の校舎があり、子供たちが遊んでいた。
「先生、ちいちゃんがあのおじさんかわいいって!」というこどもの声がした。どうも私のことらしい。 野球帽をかぶり赤いリュックを背負っていたからかも知れない。胡散臭いおじさんより、かわいいおじさんに見られるほうがいいと思った。
本殿はさすがに大きかった。広角レンズでないと全体がおさまらない。正門を入ったところに大きな銀杏の木があった。 いまはすっかり葉が落ちて寒々としていたが、秋の色づいた黄葉をまとった姿は、さぞかし威風堂々としていたことだろうと思いをめぐらした。
日高川
日高御坊をあとにして日高川に向かった。10分ほどで堤防に出た。堤防沿いに南へ数百メートル歩くと天田橋北詰めで、国道42号線が走っている。 昔の熊野街道だがその面影はない。天田橋は300メートルほどありそうだ。このあたりで川幅が狭くなっているが、海に近く水深は深そうだ。 昔は熊野詣で往来する人々のための渡し船があったのだろう。
天田橋を渡って熊野街道を南へ十数分下ったところに塩屋王子神社がある。 熊野古道九十九王子の一つで、その中でも特に古く格式の高い王子社であったといわれている。 古来より「美人王子」とも呼ばれ、祈願すれば美しい子供を授かるというので安産祈願の御参りに来る人がいまも多いという。
紀州鉄道
熊野街道を北へ歩く。天田橋北詰から10分ほどで西御坊駅に着く。時刻表を見ると次の電車は1時間後だった。 歩こうと思ったら電車が到着した。怪訝に思って運転手に聞くと、「発車は1時間後です」とのこと。しばし雑談する。 紀州鉄道はもともとは日高川から材木などを運ぶために建設された臨港鉄道だったという。
終点は日高川駅だったが十数年前に廃止された。 鉄道ファンは紀伊御坊駅に車庫があるのでそこに行く。「そこまで歩いても10分くらいです」という。紀州鉄道は路線距離2.7キロ、 起終点駅を含めて5駅の短い鉄道だ。地元の人は歩くという。確かにそうだ。私だって御坊駅から日高川まで歩いた。 寄り道せずにまっすぐ早足で歩くと30分くらいだろう。
線路内に「立ち入り禁止」の看板はない。 地元の人も歩いているようなので私も線路沿いに歩いてみた。電車は自転車でゆっくり走るくらいのスピードなので危険はないのだろう。 線路にみかんが散らばっていた。のどが渇いていたので拾って食べる。ジューシーでおいしかった。
紀伊御坊駅
西御坊から市役所前駅を経て紀伊御坊まで徒歩10数分くらいだ。駅の左手に行くと車庫があった。 全部で2両しかないそうで、車庫の外に非番の車両がぽつんと置いてあった。レトロな車両で、鉄道ファンが見学に来るのだろう。 私も写真を撮り、数十分待って記念に乗車した。学生と思しき男二人が乗っているだけだった。
西御坊で会った運転手さんとまた話をしながら、数分間のローカル電車の旅を楽しんだ。御坊駅で16時18分初の紀伊田辺行き電車に乗る。 「紀伊田辺で乗り換えて白浜に行ってもそこからまたバスになるから、本数の多い紀伊田辺駅から白浜温泉方面行きのバスに乗ったほうが良い」 と件の運転手さんが教えてくれた。紀伊田辺駅で10分ほど待ってバスに乗った。