奥の細道むすびの地

2011年01月28日 14:08 (大垣で書いたSNS日記を転載)

私には放浪癖があるのかもしれないと思う。 若いころいつでも野宿できるようにテントを担いで山に登ったり、田舎を歩き回ったりしたことを思い出した。その癖がいままた出てきたのかも知れない。

京都お寺巡り

大阪での同窓会に出た後、京都のお寺巡りをした。 龍安寺、滝口寺、仁和寺、銀閣寺、三十三間堂、東本願寺・・・など、いずれも成人して初めて行った。銀閣寺などは小中学校の遠足で行ったはずだがまったく記憶に残っていない。

どこに行きたいという気持ちはなく、ただその日に思いついたところに行って歩き回る。その途中の案内や出会った人に聞いてぶらりと訪ねる。それが私の旅の流儀になったが、今回は友人の勧めがあった。

嵯峨野にはむかし車で立ち寄った記憶があるが、それだけだ。歩いていると近くで煙が立ち上っていた。けたたましい消防車の音が響いた。火事だった。

道を逸れると静かな田園に出た。消防車から離れるように歩くと、落柿舎があった。名前は知っており昔訪ねた記憶も蘇った。そこから山裾を縫うように歩いていると小倉山、二尊院、祇王寺、大覚寺などの案内板が目につく。

藤原定家が「小倉百人一首」を撰じたのが、この地だから「小倉...」と命名されたのだと知ったり、祇王寺や滝口寺の由来を知ったり、いろいろ学ぶことが多かった。

吾唯知足

今回の旅でもっとも印象に残ったのは、やはり龍安寺だった。新しい発見もあったのでなお強く心に残った。 龍安寺は十数年前に海外の知人を案内したことがあるが、そのときはなんの感慨もなかった。感慨にふける心と時間の余裕がなかったということだ。自分の心を見つめ、生きる意味を考え、人間とは何かを考える......哲学的な想いに耽るには一人で行かないといけない。

今回、一人静かに石庭をながめているとさまざまな想いが去来し、やがて何も考えない静謐な境地になっていくようだった。人は孤独なのだ、しかし、一人では生きていけない...。その時の想いについてはあらためて書く。

「足るを知る」ということは祖父母に教えられ、高校時代から私の座右の銘であり、それが森鴎外の高瀬舟に由来すると思ってきた。それがこの龍安寺の石庭の意味することでもあると、この年になってはじめて知った。「水五則」の話も誤解していたことがある。人間の記憶というのはあてにならないものだ。

「吾唯知足」の四字が刻まれた蹲踞(つくばい) に感激した。石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めだそうだ。

旅ごころ

いま大垣のMr.Donutで書いている。コーヒーのお替り自由がいい。 最初「旅ごころ」というタイトルで書き始めた。京都を巡った後、江の生まれた小谷城に行こうと思ったが雪模様なのでやめて、また大垣に泊まった。昨夜は雪だった。

いつまでも思いつくままにぶらり旅をつづけるのが私の性分にあっているようだ。大垣には何度も立ち寄っている。大垣城は修復中なので、町中を歩いていたら「奥の細道むすびの地」の案内が目に入った。

奥の細道の句が「行春や鳥啼魚の目は泪」にはじまり、ここ大垣で詠んだ「蛤のふたみに別行秋ぞ」に終わっているという。"行春"から"行秋"だからだというが、なんだかこじつけのような気がする。お昼頃、携帯写真を撮ってTwitterでつぶやいた。

午後2時を過ぎた。そろそろ横浜に戻ろうと思う。 用事がなければいつまでも旅の空を眺めていることになる。 ここらへんで「知足」としよう。

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