仁和寺は、中高生のとき授業で習った徒然草の「仁和寺のある法師...」で始まる岩清水八幡宮の話でしかその名前を知らなかった。龍安寺から南西に5分も歩けば仁和寺がある。大きな山門が威容を誇っていた。
境内は龍安寺と同じくらいに広く、五重塔が写る池があった。龍安寺を凌ぐ名刹である。創建は仁和4年(888年)で、仁和寺第1世は宇多法皇で、皇室出身者が代々門跡を努め、平安~鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保った。
しかし、応仁の乱(1467年)の兵火で消失し、江戸時代初期に再興された。明治20年には御殿が消失したが、これも大正時代に再建され現在にその姿が伝えられている。昭和時代に真言宗御室派総本山となった。また平成6年(1994年)に古都京都の文化財のひとつとして世界遺産に登録された。