
当時唯一といってよい情報誌「山と渓谷」のコース案内では、中級から上級者向けのコースだったと思う。剱岳や槍穂高に匹敵するほどのキレットや鎖場があり、初心者には無理だと思う。とはいえ5年前に、まったくの初心者なのに剱岳にいきなり登ったのは、いまから思えば無謀な行いだったのかもしれない。
JR(当時は国鉄)白馬駅から登山口の猿倉荘まで路線バスがあった。白馬岳南側の鞍部にあった山小屋まで直登するが、そこは白馬大雪渓で、夏といえども残雪の斜面を登っていく。どんな登山でも初日の登りはじめが一番きつい。
山小屋から白馬岳頂上は往復1時間ほどである。一泊で白馬岳登山を楽しむ人も多いことだろう。朝一番のバスに乗り、すぐ登りはじめたのでほかの登山者に会うことはなかった。白馬から南へ縦走がはじまる。鑓ケ岳~天狗ノ頭~不帰キレット~唐松岳~五龍岳~八峰キレット~鹿島槍ケ岳~爺ケ岳へとたどる。
大キレットをふたつ超えるのが苦しいが、それ以外は稜線を歩くので爽快である。西側は黒部峡谷を挟んで、剱岳~立山連峰が連なる。眺望が開け、天空の散歩を楽しめる。当日は、雨は降らなかったが、稜線は霧に覆われたりして、天候はあまり良くなかった。きれいに撮れた写真が一枚も残っていない。頂上で記念撮影した写真も霧の中のような感じである。
縦走の最後は爺が岳を下った鞍部にある種池から扇沢に下山した。2000m圏内になると樹林地帯になり湿気が上がり汗が噴出してきたのを思い出した。2時間半後に樹林を抜け、モミジ坂を下ると急に視界が拡がり、扇沢の水辺に着いた。太陽がまぶしかった。汗だくになった体を清めるために褌一丁になって沢に入った。禊をする気分だった。
岩の上にカメラをセットして自撮りした写真があった。もちろん周囲には誰もいなかった。数百メートル下流に架かる橋が見えた。一台の車が橋の上で止まり、二人の男女が降りて、こちらのほうを眺めている気がした。昔とはいえ当時はもう褌姿は珍しくなっていた。
余談~褌の効用~

山旅のときは褌を締めることにしていた。学生時代に始めて山に登ったときは、日常はいているパンツ(当時は猿股かブリーフ)だったが、岩壁をよじ登るときに開脚すると窮屈で、また体に密着したブリーフは汗をかいて蒸れ、インキンになるおそれがあった。
1971年に表銀座を縦走し、槍ケ岳や奥穂高岳に登ったときから褌を着用するようになった。開脚が楽で蒸れないからだ。越中褌ではなく六尺褌にした。といっても市販品ではなく、晒(さらし、帯状の晒木綿)を3mくらいに切って使った。六尺褌は昔の鯨尺で六尺、すなわち228cmだが、実用的には180cm~300cm程度、幅16cm~30cmだったそうだ。
下着ではあるが、腰に巻きつけたきれいな部分を切れば、怪我をしたときの包帯になる。汗を拭う手ぬぐいになる。予備の晒を二枚よじれば3mのロープになる。小間物を包む風呂敷代わりにもリュックに括りつけるときの紐やロープになる。意外と使い道があるので、いつも予備の晒を持っていった。軽くて、リュックの隙間を埋めるのにも使えて重宝したものだ。
鹿島槍ヶ岳から望む氷河
2009年からの調査で、立山の雄山(3003m)東面の御前沢(ごぜんざわ)雪渓、剱岳(2999m)東面の三ノ窓雪渓と小窓雪渓に氷河が現存することが確認された。2012年4月に日本雪氷学会に学術論文として発表され、立山・剱岳の3つの万年雪は現存する氷河と学術的に認められた。 〔出典〕とやま雪の文化